むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2007年、阪神能見投手のインタビュー

 20年ほど、朝日新聞系のスポーツブロック紙で編集長をしていたことがある。阪神の能見投手を追いかけていた。当時の記事が出てきた。


 2004年のドラフト自由枠で阪神に入団した鳥取城北高出身の能見篤史投手。2シーズンとも思いどうりの結果が残せず「不完全燃焼だった」ことを猛省する。

 「調子のいい時は確かに通用しましたが、いい状態をキープする期間が短かったし、制球をつけなければいけないシーンで甘く入ったりして打たれることが多かったです」

 左腕エースの目標は、1軍先発でゲームをつくることである。そのためには、シーズンを通して投げられる筋力アップ、練習で追い詰む厳しさである。下半身を鍛えることと、パワーアップのために体重増をオフには課してきた。

 ポスト井川の熾烈な競争に挑む今季の抱負を聞いた。

ーー 2シーズンを振り返ってプロの生活は。
能見 1軍で投げて勝ち星を残してナンボの世界、結果がすべて。2軍で好成績を残してもアカンです。いつもハングリー精神だけはもっておかないと、成長しません。

ーー 思い描いていた結果が残せなかった要因は。
能見 中継ぎと先発とはまるで違いますので、それが一番です。でも、いい経験しましたので先発への好材料にはなりました。

ーー 先発だけを考えてシーズンに臨んだのですか。
能見 はい。僕は先発が強かったです。

ーー 2軍行きの時は。
能見 落ちた時点で(1軍に上がる)チャンスは少ないですから、実績を残してアピールをしなければアカンです。

ーー メンタル面の強化が指摘されていますが。
能見 大事です。マウンドに上がったら、打者を見下ろすぐらいの度胸で投げないと、自信をもってほっても打たれます。(打たれるのではと)消極的な気持ちで投げれば、打たれるのは当たり前です。
 一緒のコースにいっても、投げる以前の心構えが違えば打たれないです。

ーー ハワイ・ウインターリーグへの参加が収穫になったようですね。
能見 手応えがありました。向こうの打者は日本と違い、追い込まれても何でも打ってきますから。日本では粘るだけです。

ーー 球種も増えたとか。
能見 カーブとチェンジアップ。カーブはまったく投げていなかったが、スローカーブを習得してゲームでは織り混ぜました。あとは自信をもって投げるだけ。

ーー フォークも。
能見 ずっと投げていたんですが、落ちる日があったりなかったりで、精度が良くなかったのが、高まったです。投球の幅を広げるヒントを得たことは大きかったです。

ーー 今シーズンは、年末から”ポスト井川”と報じられていますが。
能見 3年目で正念場。勝負の年ですので、狙いにいきますよ。年齢的も中堅で、チャンスなのでしっかりと結果を残してシーズンを終えたいです。
 ずるずるとひこずることだけは避ける覚悟です。

ーー シーズンオフはイベントで多忙だったですが、年明けは。
能見 体はしっかりと動かしていたので、自主トレでは肩もつくっておき、2月1日にはブルペンに入るのが自分の中での最低条件。あの辺が勝負。結果を残しているひとは入らなくてもいいんでしょうが、自分はそこからアピールが始まる。必死ですよ

           *

 シーズンを終え、故郷の出石に帰ればきさくに話してくれる。3シーズン目に入る今季は、ハワイでのウインターリーグで武者修行した名残があり、やや日焼け。確かな手応えで結果も残していたので自信が感じとれた。

 受け答えのメリハリも、2年間のプロ生活で板についた。阪神という人気球団のため、ファンやマスコミからの風当たりは強い。でも、持ち前のマイペースは崩さない。

 高校時代から社会人、そしてプロ。いつの時も”崖っぷち”に立たされ、開き直りで大きく飛躍してきた。高校ではセンバツ出場への夢があったが泣き、社会人では最後通告まで宣告されながら不死鳥のごとく蘇った。今季も、「勝負の年」と自らに言い聞かせる。

 「14」が、甲子園のマウンドで静かに吠える姿を見守りたい。

(2007年1月1日)

コンテンポラリーに生きる

 渡辺京二さんの、コンテンポラリーが知りたくなった。『北一輝』からの出会いだから40年の付き合いになる。
 『無名の人生』では、幸福論を書いた。「自分で自分の一生の主人公であろう」とした半生をもとに語っている。
 むずかしい言葉はないから、2時間あればよめた。
 
 人間にとって大切なのは「自分中心の世界」であるコスモスとしての世界だ、と説く。自分はいつも、世界の中心にいる。地球のどこに住んでいようが、どんな集落で暮らそうが、そこに照る太陽は同じ。「自分だけのコスモス」は、一人ひとりがもっている。

 家族、夫婦、自己愛、人間とは・・・客人ははなすが、「陋巷に生きる」のが理想的な生き方とさえ思う。
 
 ジプリ雑誌『熱風』(2016年11月)には、熱がこもる。

 「熊本に生きているというのは、地方文化に生きているんじゃなくて、コンテンポラリーなんだと思う。東京ばかりに任せてたらダメですよ」

 熊本にはたまたまいるいるだけ。

 「学ぶ」「表現する」--「伝統」「場」「機構」のシステムをつくれという。

 地方文化なんて、もともとないわけ。

 あるのは、すべて、コンテンポラリーである。

わがままな過疎集落

 限界集落から、あやうく、孤立集落になる寸前だった。

 まだ80センチは、ある。明日は晴れるようだが、一気にはとけない。

 33年ぶりの大雪だが、油断していると、またたく間にひずみがでる。

 いなかほど絆があるようにいわれるが、いなかほど繋がりはない。屋根から雪がおちて、文句を言うのは、高齢者だ。すこし我慢しておれば、雪は溶けるのに、我慢がたりない。わがままが多すぎる。

 移住・定住になれていない集落こそ、ひとの行き来がないので、わがままなひとが多い。

 過疎・高齢化集落では、人口1千人に対して、若い家族が毎年2世帯ずつ移住してくると、人口は増えこそしないものの、人口バランスが保たれ、子どもが居続ける集落になれると推計されている。

寛かなれ

 子どもが「チャレンジしてみたい」と言ってきたことにはできる限り応えてきた。

 ここからが肝心。

 子どもが習いたいと発言したことには、責任を持たせる。「つまらない」から、「飽きた」から、「うまくできない」からなどの理由でやめさせることはさせなかった。 

 これは子どもの勝手な理由、いわば「わがまま」である。それを認めてしまい、次から次へと興味のあるものに移っていくだけでは後に何も残らない。

 物事は「うまくいかない」から「つまらない」し「飽きる」。そこには「努力する」が抜けている。

下りるとき

 習慣という<怪物>は、どのような悪事にもたちまちひとを無感覚にさせてしまうが、半面それは天使の役割もする。

 終始、良い行いをするような心がけになれば、初めは慣れぬ借り着も、いつかは身についた普段着同様、おいおい肌に慣れてくる。

 今宵一夜をおつつしみなさい。

 明日の夜はもっと楽になりましょう。

 その次はさらにたやすく。

 こうして習いは性となり、ひとは、知らぬまに、悪魔を手なずけられもしようし、それを追い出してしまうこともできる。

あけもどろ

 習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、半面それは天使の役割もする。終始、良い行いをなさるようお心がけになれば、初めは慣れぬ借り着も、いつかは身についた普段着同様、おいおい肌に慣れてくる。

 今宵一夜をおつつしみなさい。明日の夜はもっと楽になりましょう。その次はさらにたやすく。こうして習いは性となり、人は、知らぬまに、悪魔を手なずけられもしようし、それを追い出してしまうこともできる。