むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

賞味期限のある地域づくり

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 農山村の「歩き屋」を自任されている著者の「農山村再生論」であるが、「論考」と「実態報告」と「持論」がごちゃまぜになっており、パンチが弱い。

 「地方消滅論」が見落とした可能性を探っているようだが、気配すらない。

 「終章」の「農山村再生の課題と展望」で、消滅しない農山村の仕組み、として論考している。ここで、意欲的に取り組んでケースとして、鳥取県智頭町の「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」を引き合いにだしている。

 ここでは同運動の全貌は省くが、この運動のイレギュラー(個性)は枯渇して賞味期限は変貌している。

 「再生の展望」を説くならば、著書も指摘している生活共同体づくりの息吹きとなるであろう「小さな拠点づくり」へと論考を広めてもらいたかった。

 わたしは、この政策はかつて民主党政権でやろうとした「新たな公」と連動するものであると解釈している。

 今後、人口減少は避けられない。地方と都会との格差は、どんどん広がる一方だ。地方に雇用をつくるだけでは流れは止められない。

 負の連環のメッセージは、オブラートにつつむべきではない。高齢社会を支えていくには、地域しかないことはすでに学習、試行錯誤している。「みんなで協力して問題を解決していこうよ、助け合おうよ」とのノウハウも「3.11」以降、身についている。