むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

けさの「朝の文章」(茂木健一郎)は思いやる言葉。感銘しきり。

 思いやる言葉こそ、人は、心を込めて発するべきなのだろう

 収録で、ある台詞がどうしても言えず、なんども言い直しても、うまくできない。
 スタッフを待たせているし、時間が経つし、どうしよう、と困り果てていた。

 追い詰められ、進退窮まった、そんな感情が、胸にわき上がっていた。

 そうしたら、監督が、「これ、言いにくい台詞ですよね。茂木さんの内面と合わない。言葉を変えましょう」と言ってくださって、それで、一気に気持ちがラクになった。

 今の監督の言葉で、逆に、もとのままの台詞でも言えそうだな、と思ったところで、目が覚めた。

 悪夢から覚めたときの、「現実ではなかった」というほっとした気持ちは、春の雪解けのようである。

 ぼんやりと考えた。

 何か行動しようとしても、無意識のうちに無理をしていて、そのせいでうまくいかないことがある。

 自分では気付かない障害があるのだ。

 そのことを、今の夢は象徴している。

 このところ、現実の生活の中で、何か、無理をしていたのかしら。

 それから、考えた。夢の中で、監督が言った言葉は、本質を理解した、やさしさに満ちていた。

 いつか誰かがどこかで発した言葉が、私の中で残っていて、熟して、今朝の夢の果実になったのだろう。

 言葉は、風船のように、あちらこちらに飛んでいって、思わぬ時に枯れ葉の下から姿を現す。

 いつどこで誰かの夢の中でよみがえるのかわからないのだから、あるいは、それまで、どれだけ長い時間を無意識の海で泳ぐことになるかわからないのだから、思いやる言葉こそ、人は、心を込めて発するべきなのだろう