むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

絵入り聞き書き  大正期の色街を、老婆が方言で語る

「言葉は心ですけえなあ、話をしとっても、ははあ、この人はこれぐらいのことしか思っとらんがよおっちゃなことが分かる」

長い時間をかけて、ひとりの老婆の生命を追った。聞き書きした。

 一つの生命が、生きて、何かをし、そして・・・。

 その人の果たした何かはーーそれすらわからない場合もあった。何かのまったくつかめない人もあった。

 記録というものは、たぶん、そういう生命に呼びかける手段にちがいない。
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 一つの生命の奥の深さは滅多にわかるものではない。わかるような気がするだけである。わかるような、というのはあいまいだが、どうにもならない。

わかるようなと思ったあとで、一切はくるりとひっくり返ってしまう。近づいた人影は、今度は極度に遠のいてしまう。

 見失ってしまう場合だって一再ではない。少し恰好よく、わかったような顔をしてみたって仕方がないのである。
 
 長い時間話し合った。語りを粉飾せず、絵で語らせた。

 一話聞くのには、休みを入れながら約3時間たっぷり。話し手の意図をぞんぶんに聞き出せ、文字に記録したかは、いまだに読み返しても自信がない。