むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

心の日だまりがほしい日本かな。茂木健一郎センセイの博識に敬服

 茂木健一郎センセイが、博識を述べている。

 もっともですね。人生論とも、仕事論とも、なんにでも当てはまる。


 「草野球のバッターボックス」

プロ野球は、子どもの頃からときどき見ている。むかしは、鳴り物の応援団が完備していなくて、ヤジがよく聞こえた。それで、チャンスで期待されてバッターボックスに立った選手が、敢えなく三振してしまうと、「なにやってるんだ〜」とか、「へぼー」みたいなヤジがよく飛んでいた。

私のヤジのいちばんの原風景は、東京スタジアムである。(今調べたら、私が生まれた年に出来て、10歳の時に閉鎖されている)。それで、大人のマネをしてヤジを飛ばしていた6歳の少年は、小学校に上がると、草野球に夢中になり、王貞治さんのマネをして、一本足打法などもやるようになった。

「ブランコを越えたら、ホームラン」というルール。一夏に50号は行ったと思う。そんなにストロングヒッターだったわけではなく、とにかくひたすら草野球をやり続けたのである。そこで、バッターボックスの経験を知ることになる。仲間のチャンスで立って、ツーストライクまで追い込まれたときの緊張。

ツーストライクになった時、よし、打つぞ、というイメージと、「三振するかもしれない」という悪いイメージ。そのせめぎ合いの中で、バッターボックスの経験を積み上げていく。世の中というものは、そう簡単に、うまく行かないものだというレッスンが、そこにはあったように思う。

バッターボックスの経験を積んでから、6歳の時に東京スタジアムで観戦してヤジを飛ばしていた時の自分を振り返ると、なんか、ひゃっとするのであって、選手の立場からすれば、とにかく一生懸命やっても、速球や変化球についていけない、ということがあるのだと思う。

ビールでも飲みながら、気楽にヤジを飛ばして、三振すると「まったく、ダメだなあ」という立場と、自分がバッターボックスに立って、とにかく必死にボールを追う立場は、違う。もっとも、ヤジをとばしているおじさんも、別の現場では、必死になってバッターボックスに立っているのかもしれないけど。

イスラム国の人質事件について、さまざまな人がいろいろなことを言っているのを聞いたり読んだりして、草野球のバッターボックスのことを思い出した。この、心が苦しくなる事件について、バッターボックスに入ることを想像しない評論は、虚しいヤジのように聞こえて、今のぼくには、どうも響かない。