むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

小さな集まりに希望がある

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 3・11から志を持った人たちによる小さな集まり、勉強会、塾が派生している。でもパブリックな動きとなると、国家の援助をうけないと長続きしない。意地をはって民間の団体として続けても、さき細りする。やがて消える。これが、日本に通用にている<常識>である。

 戦前、地方の草の根から出発して列島に元気を与えようという下村湖人、田沢の発想にもとずく青年団の運動があった。

 でも、拡大を望む幹部により、大政翼賛運動にながれて当初の理想は変質した。

 小ささに、我慢しきれなかったのだろう。

 一方、幕末の高野長英渡辺崋山らの「尚歯会」は、会ったことさえたしかめがたい小さな運動にもかかわらず、その志は消えなかった。

 大東亜戦争中の中国研究者の中江丑吉ー鈴江言一の友人のつきあい、ダンテ翻訳者の寿岳文章・作家のしづ夫妻からその子供ら、プロレタリア画家の岡本唐貴ー漫画家の白土一平父子など、小さな集まりには、始まりのあかりが今もある。

 個に照らしても、そうだ。

 自分を自分と認めるのは自分であって、他人ではない。