むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

ムラのいのち・・・2

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 限界集落は、大野晃が91年に提唱した概念である。

 「65歳以上の高齢者が集落人口の50%を超え、独り暮らし老人が増加し、このため集落の共同機能が低下し、社会的に共同生活の維持が困難な状態にある集落」と定義された。大野が提唱した当時は、限界集落はまだ点的な存在であった。

 しかし、その後、限界集落の分布は点から面へと転換する。大野のフィールドであった高知県大豊町では、すでに過半の集落が限界集落に分類されるまでになっている。

 こうした限界集落の拡大は、近年注目されている小規模自治組織による地域の再生すらも難しい状況を生み出しつつある。

 限界集落の今後については、その厳しさ故に正面から切り込む議論がなされてこなかった傾向がある。かつて生源寺真一は「ターミナル・ケア」といった表現で、集落やムラも存続そのものや関わり方のなかで末期的を意識した接し方があることを指摘したが、この種の議論は広がりを見せなかった。

 2000年以降に、限界集落が広範に展開するようになると集落の終焉を前提とした議論が提起されるようになる。

 「むらおさめ」や「撤退の農村計画」といった切り口で、集落の終焉をみとめたうえで、何をすべきかが議論されるようになってきたのである。たとえば「むらおさめ」論では、いかに消滅しつつある農村を「看取る」かに焦点があてられており、「撤退の農村計画」のグループでは、「もはや“すべて守る”ことは不可能であり、“撤退”にムラついても、真剣に検討すべき時期にさしかかっている」とする。

中山間地域の集落をめぐる議論は、いわゆる限界集落の後、すなわち“ポスト限界集落=消滅集落”というかつて経験したことのない過酷な段階に入りつつある。

 限界集落を積極的に廃村に追いやることは国土保全の観点からも好ましいとはいえない。そのため、積極的な抑制戦略が展開されるべきである。その結果、集落の維持(延命)や、場合によっては集落の再生(蘇生)が期待される。

 しかしながら21世紀に入り、国全体の人口が減少する時代においては、現実に限界化を抑制できない集落も生じてきており、またそうした傾向が急速に強まりつつあることも間違いないのである。

 一部の限界化した集落では、刻々と集落世帯員は加齢していき、世帯員の死亡による世帯の消滅が続いている。集落に残された最後の世帯員の死亡により、居住地としての集落は消滅することになる。この過程では、集落はなし崩し的に消滅していっている。

 集落がどんなに限界化しようとも、当該集落における人々の最低限の暮らしを保証する責務がある。すなわち、道路、電気、ガス、水道といったライフラインの確保と維持・管理のもとで、衣食住の生活維持と医療、福祉のサービスは継続していく必要がある。このように自治体が残存世帯の生活の質を最後まで維持し、集落の最後を「看取る」必要がある。

 こうした、いわば集落のターミナル・ケアを総称して「むらおさめ」と表現し、地域住民が、限界集落に対して絶えず関心を払う必要がある。

「むらおさめ」は、限界集落を積極的に消滅させるものではない。集落の限界化に対して様々な抑制戦略を行った結果、どうしても消滅が逃れられない集落において、集落構成員により合意形成された集落の撤廃を包含している。
「むらおさめ」で最も重要なことは、集落消滅後における集落内の農林地と家屋を管理していくことである。