むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

東京新聞が面白い

 昨年から「東京新聞」を読んでいる。主張があって興味をひく。

 今朝の社説は、教育問題である。さっそく、引いてみる。


 不登校は「制度公害」であると、指摘する。


 在野の教育研究者、古山明男さんは「不登校は制度公害です」と手厳しい。学校恐怖やいじめ、非行、学業不振、怠けは世界中にあるけれど、不登校が問題化するのは日本特有の現象だそうです。


 学校教育法の決まりで、国が認めた小中学校でしか義務教育を受けられない制度になっているからです。いくら学校が嫌いでも、正規の学びの場はほかにない。


 憲法も、教育基本法も子どもの学ぶ権利を保障しているのに、不登校になると奪われてしまう。下位の学校教育法が権利を使える場を学校に限っているからです。


 欧米諸国は対照的です。親が家庭で学びを支えるホームエデュケーションやフリースクールシュタイナー教育モンテッソーリ教育…。さまざまな理論や思想、哲学を基とした学びの場が制度的に担保され、発展している。


 子どもにふさわしい教育の場を、在宅を含めて選べるのです。そもそも市民には学校をつくる自由がある。“教育の主権在民”とはこのことでしょう。不登校問題は生じようもないのです。


 戦後日本に定着した学校一本やりの教育制度は、人々の意識を縛ってきました。東京シューレ理事長の奥地圭子さんは「学校化した社会」と呼び、憂えています。


 小中学校から高校へ、大学へと競争を勝ち進み、社会人に。学校の階段をつまずかないよう駆け上がる単線型の人生行路。それが当たり前の生き方として、世代を超えて刷り込まれてきたのです。


 不登校ばかりでなく、競争に敗れてコースから外れると、自信を失い、追い詰められる。日本の子どもたちの自己肯定感が国際的に見て異常に低いのは、学校が心の自由を奪い、夢や希望を見失わせているからだと思うのです。


 昨年九月、安倍晋三首相は東京シューレを視察し、フリースクールなどの学びの場を支援する意向を表明しました。国の初めての動きに期待が高まっています。


 正規の学校ではないからこれまで公的支援はほとんどなく、どこも運営は苦しい。利用する子の負担も重い。小中学生なら本来は無償で教育を受けられる立場です。


 不登校問題の背後には二重、三重の教育格差が潜んでいる。その是正こそが支援の主眼であるべきでしょう。エジソンアインシュタインのような異才の発掘や選抜ばかりが目当てでは、学びの場が学校化しかねません。


 奥地さんらは、子どもがニーズに応じ、自由に学びの場を選択できる制度づくりを訴えています。多様な価値観や生き方が芽生える可能性を秘めているはずです。


 強い者だけが生き残るグローバル化の時代は息苦しく、社会がきしみます。だからこそ競争ではなく共生の、排除ではなく包摂の知恵が問われているのです。

 上記、引用した。

 最後で、「社説氏」とは異なる。やはり、競争は必要である。「共生」ではことば遊びにきこえる。