むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

人口が多い自治体が豊かな生活が送れるというのは思い込み

 山間僻地が生きのびるには、人口増を図るしかない、そのためには移住者を迎え入れて定住させるしかない、という論法がある。

 僻地社会は人口を増やさなければ維持できないのか、活性化しないのか。

 日本の自治体は、市町村合併でかなり大きくなった。行政単位としては人口増になったとしても、内部に小集落が点在している。

 集落内で人口増を図れたわけではない。そして、そんな集落が限界化しているのである。

 自治体の最低単位を10万人程度にしないと存続できないと考えているふしがある。

 USAは、「小さくて豊かな村」のランキングまで付けられている。だいたい人口は5000人~1万5000人の自治体だ。なかには1000人を切るところもある。それでも豊かな生活を送れるのだそうだ。

 豊かな生活を送るには、人口の多い自治体が必要、という思い込みを取り外せないか。

 さらに小さく50人~100人くらいの町で自治体をつくることを想像する。たとえば30世帯100人の集落を想定できないだろうか。町内会レベル以下の規模である。

すべての公的業務をその自治体で仕切る必要はない。それは上部自治体に任す。

 たとえば100人の村に年間500万円くらいを交付して、それをどのように使うか住民で決める仕組みにする。議員はいらず、全員参加の直接民主制。公務員は議長か首長とその補佐役数人だけでよい。

 交付金を福祉に使うか、イベント開催に使うか、道の補修か、あるいは起業してもよい。

 カフェなどお店を開く。何か生産する手もある。共有地で農作物つくって売ることも挑戦できる。予算だけでなく、それらの許認可や決裁事項を極小自治体に任せる。

 自ら決めて、自ら執行する。共有地や公共施設を基本財産にすれば、上手くすると賃貸収入を得たり利潤を上げることも可能だ。

失敗しても、それは交付金のレベルの損失であって、住民の生活は維持できるから心配はいらない。

 住民も、固定しない。移住だけでなく、転出もアリだ。雇用の形で住民を連れてくることもありえる。重要なのは、年齢構成だろう。各年代のバランスを取る。

 その中で豊かに暮らせる仕組みを造ればよいのではないか。自分たちで考え、自分たちで実行する要素があれば、豊かな気持ちで暮らせる。

日本の人口は減っていく。それなのに頭数の分取り合戦をしても仕方がない。むしろ少ない住民による楽しい社会を築けないか。

 ただし、伝統的な集落ではなく、むしろ廃村後に新たな集落つくるような形がベターかな。