むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

寛かなれ

 子どもが「チャレンジしてみたい」と言ってきたことにはできる限り応えてきた。

 ここからが肝心。

 子どもが習いたいと発言したことには、責任を持たせる。「つまらない」から、「飽きた」から、「うまくできない」からなどの理由でやめさせることはさせなかった。 

 これは子どもの勝手な理由、いわば「わがまま」である。それを認めてしまい、次から次へと興味のあるものに移っていくだけでは後に何も残らない。

 物事は「うまくいかない」から「つまらない」し「飽きる」。そこには「努力する」が抜けている。