むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

むのたけじの遺言

 『解放への十字路』から、むのの解くジャーナリズムを考える。

 もともと、この題名は『解放』ではなく、『革命』だと、むのの奥さんから生前聴いたことがある。

 ジャーナリズムの本来の任務は、歴史の記録者であり、証言者である。歴史の主体は民衆であるから、報道が依拠して立つ場は、支配の側に立つか、支配されている側に立つか、この選択だけである。

「ありもしない公正中立や客観報道への迷信を壊さない限り、日本の報道は生きてこない」

 第3章。「400年来の呪縛を断とう」と題されている。豊臣秀吉が創始した日本型支配の構造が現在にまで尾を引いていることを、「戦争を裁かないままの戦後」を例にして論証し、その支配構造を「<知らせない>→<はぐらかす>→<こらしめる>という三段階の使いわけと組み合わせ」と規定したうえで、「スリカエ」方式と命名する。

 ジャーナリズムの本来の機能が記録であるかぎり、歴史の主体である民衆はひとりひとりが真の意味でのジャーナリストになることが可能である。


「要求されているものは、状況の中に一人称の主語をぶちこんで皮をはぎ肉を破って、状況の骨をえぐりだす認識の作業だと私は考える」

 むのはこう書く。