むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

芸術家・高木啓太郎の画技

 おだやかなまなざしが、ひきしまる。すべる竹筆。技法にとらわれないかっ達な筆致。泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりと、自在に描かれる墨彩は、慈眼にあふれている。かじかんだ身体を温めてくれるかのように…。

 「折々の感情が出とればええ。理屈はいらん。ええだないか、へたも絵のうち。何ごとも熱中しておれば、つまらんと思うことでも、それなりにひと味あって、捨てがたいものだ」
 ええだないかーは自慰と誇りと、自らへの激励をかねて言える言葉かもしれない。

 無心のうちにかく絵。楽しみながら酔うてかく書。心のありのままにいじる土。詩心ゆたかな文章。すべてを心にみつめて撮る写真。多彩な仕事は、いずれも大仰に構えることを潔しとせず、酒々落々としている。

 「どれとて分けて考えず、なんでも私だ」
 一芸に秀でれば他芸に通ずる、という諺どおり、高木さんの創作活動には非凡な個性が良く表わされている。戦後四十年もの間、撮り続けた県内の民俗、行事、文化財などの作品のうち、整理の終わったネガ二万五千コマと写真約四千枚を倉吉博物館に寄贈、写真の”第一線″から退いた今、力を入れているのが、墨彩画だ。

 すぐれた画技は、生来、美しいものを感得する鑑賞眼の持ち主にほかならない。

 「わしはあくまでもアマチュアであり、好きなように自分の思い通りに表現したい。他人からとやかく言われ、身売りしているのじゃない。プロ意識があると、てらいが出てくる」
 アマチュアであることへの誇りを公言してはばからぬ言葉には妥協がない。一徹さともとれる資質の背後には、日中、太平洋戦争に従軍、ソ連国境での戦闘に日々死との対決、また、戦後シベリア抑留中、極寒のなかでの戸外重労働といった環境で体得された悟りが、見え隠れする。

 高木さんとの何度かのインタビユーで印象深いのは、「誰からも圧力をかけられない仕事をおもしろくやるんだ」と繰り返し出ることであった。

 もうひとつ。「ひと一倍ものが美しく感じとれるということは、親が私のために遺してくれた、たったひとつの素晴らしい遺産だ。大切にしなくちゃあ」
 創作にいどむ時「美への憧れ」を基調にする心の奥の座標軸に、両親の存在が、いつもある。のびやかで親しみ深い筆さばきによる墨彩、感情のうごめくままのユーモアとペーソスたっぷりの土偶の魅力は、見る者の心をえぐる。

 心が疲れ、病んでいる時、観音菩薩不動明、羅漢像などの墨彩、「百拙ダルマ」を見つめると、すさんだ気持ちも安らぐ。童心に満ちている。
 「約束ごとなぞ知らん。心を無にして、ああええなあ、ああ美しいなあ、とラクな気持ちでやっていると手先が自在に動く」
 なにもかも脱ぎ捨てて素っ裸になり、ただただ無心でありたいと往来しているのが、古刹の長谷寺である。
 もう十七年近くになる。六千回を超えた。
 「長谷に向かうとシャンとする」と自認するとおり、それまで、しゃがんで絵筆をもっていたが、いざ、石段を登り始めると足取りが軽くなる。ここでも矢立てを構え、筆を下す前に「うまくかこうと思うなよ」と言い聞かせる。
 
 高木さんは、平成9(1997)年10月11日、脳梗塞のため死去された。81歳だった。