テッペンまで登りつめると、みずから降りる術をしらないのだろうか。周りが見えないのか。見えていても、塞いでいるのか。
戦国の世の天下人は、参謀といわれる知恵者を脇にしたがえていた。聴く耳をもっていた。民衆からも、見守られていたのだろう。サクラを愛でるのも、あるじに誘われなくても、馳せ参じたであろう。恰好つけて、民主主義なんていわなくても、作法はこころえていた。
天下人は、奥さんの言うことこそ、率先して聴く耳をもっていた。奥さんも、処世をみにつけていた。
今度こそ、テッペンから引きずりおろされる気がする。徒党をくむ相棒が「聴く耳をもたなくなって」きている。