むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

ブログは自学ノートに似ている

 昨夜、ひきずり込まれるようにNスぺの「自学ノート」を見入った。集中力ははんぱない。分野、テーマ、事がらなど、考えて書く。テレビにはパソコンらしきものはなかった。新聞が「情報源」だった。考える素材は、新聞にはいくらでもある。鵜のみをせず、疑ってかかるーー知ったかぶりしないのがいい。

 なんでも学習資料である。なんでも学習資料にするために、体系が必要である。学習とは、自分の体系をつくることである。ネットから素材を導入しないところに惹かれた。独学ともさほどかわらないような気がした。

 「自」分で「学」ぶ
 「自」由に「学」ぶ
 「自」主的に「学」習する
 「自」然に「学」習する
 「自」ら「学」ぶ

 自ら自主的に自由に自分で学びの力をつける。まあ、ブログも似かよったところがある。見たこと、読んだこと、聞いたこと、考えたことを、たえず書きあらわすことで磨かれる。