伝統窯では全国的に知れた「牛ノ戸窯」に出向いてきた。薪ストーブの炎にあたり、眼をいたわってきた。
妖艶ともいえる炎。疲れた眼に正気がよみがえる。窯主の作陶をよそ目に、燃える炎をじっとみつめる。心が静まる。沈黙を聴く。
窯主は「三も」主義だ。
財布、時計、携帯”も”持たない。窯場にこもりっきりで、市街地にはめったに出ない。達観しているさまを仄聞していると、わたしなぞ忙しを振る舞っているだけ。ムダなときをすごしていそうだ。
「じゃ、そろそろ」と腰をあげる。と、きまって「どうせ野暮用でしょ、急がんでもええが・・・」と、また、お茶をそそいでくれる。
処し方も、わけへだてない。黙って、冷たい土にまた、むかう。土間に響く。けろくろの回る小気味よい音。
作陶がひと段落すると、ストーブで暖を取る。変化のない作業の繰り返しだ。となりの芝生はよくみえるものだが、おくびにもださない。
「気張らんと、まあぼちぼち」と見送ってくれる。