むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

内山節さんとの対話

 歩く。晴れ間がのぞいて気もちいい。窓を全開して、風をいれる。ことしに入り、内山節さんとの会話をふりかえっている。

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 群馬県上野村は、けわしい山野が面積の9割以上をしめる。家にむかう山道で、猿が数匹、のり面をかけ上るのがみえた。

 「猿はこの庭で20匹ぐらいさわいでいることもありますよ。家に夜もどると、カモシカがまっている。動物の領地に人間がすまわせてもらっているんです」

 築100年という家の前まえで、愛車の冬用タイヤを汗ばみながらつけかえていた内山さんが、笑って出迎えてくれた。

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 杉や楢(なら)の木がしげる裏山と約400平方メートルの畑も自ら所有する。新年には、各地からあつまる仲間と百臼近くの餅をつき近所にくばる。納屋には杵や臼、チェーンソーや農具が所狭しとならぶ。自分の墓も庭にたてた。

 「私が初めてこの村にきた1970年ごろは、『自然なんか飯の種にならん。開発して人間の役にたつようにする』という考えが主流でした。『個の確立のために封建的な共同体は打破すべきもの』という思想も一般的だった。でも、自然と一緒にみんなで助け合いながら生きていくこの村の社会が、私にとっては非常に魅力的だったんです」

 都立高校を卒業後、組織に属さずに哲学をまなんでいた20歳すぎの内山さんは、たまたま釣りをしにきたこの村が気にいり、年間の三分の一を村で過ごすようになる。東京の自宅と、ほかの移動先がのこりの三分の一ずつ。そんな生活を長年すごしてきた。

 『ローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』(農文協)は、立教大大学院で社会人学生らにかたった講義録をもとにしている。『文明の災禍』(新潮新書)に続き「ポスト3・11」の日本を考えるてがかりとなる好著だ。

 ローカリズムは、ちいさな地域や共同体の独自性を重視し、それを基盤としていきていこうとする考えをさす。市場経済を全世界に広げるグローバリズムの逆を意味する。上野村の生活を通じ、内山さんが身体で学んだ思想といっていい。


GDPがもどっても復興にならない

 「震災後、社会の基盤は結局ローカリズムにあるということが、より強くかんじられるようになったと思います。日本のGDPがもどっても復興にはならない。それぞれの人たちの生きる地域が、再び確立されなければいけない」

 『ローカリズム原論』で内山さんは、周囲との「関係性」をつくることを人間の本質ととらえ、「共同体」が人間にとって持つ意味をといなおしていく。

 「ヨーロッパとことなり、日本の共同体には死者と周囲の自然がふくまれていた。上野村の葬式は今でも半分ぐらい、家族ではなくて共同体がやる。それは共同体が死者の思いをうけつぐということ。人のつながりは、今の人間同士がつながる横軸のほかに、過去と現在と未来をつなぐ縦軸がある。共同体には縦軸をつなぐ役わりがあると思います」

 内山さんが考える新たな共同体像は、ひとつつの地域に閉じたものではない。

 東京・丸の内に、仲間たちがつくった「とかちの」「にっぽんの」という2つの郷土料理店がある。一つにはみずから出資した。各地の農産物が食材として活用されるこの店は、地方と都会、生産者と消費者が交流する拠点として機能する。地域を主体にした社会のこれからを考える場所でもある。

 「地域を超えた、ある目的意識にもとづくつながりで、これも一つのむすびつきのあり方です。上野村の人口は1400人ですが、自分にとって村が大事な地域だと思う人5000人ぐらいつくろうとしている。『応援団』のほうが多い。震災後には三陸を継続的に『自分の地域』として支援するうごきもでている。地域とは居住地ばかりではありません」

 日本の比較地と定めたフランスをしばしば訪れ、ローカリズムのうごきなどをみつめてきた。

 「現実からはじまって現実にでてくるのが哲学です。知性の領域だけでやろうとしても、限界をつくってしまう。小さな村に行くとひどく哲学的なおじいさん、おばあさんがいます。その人たちは哲学的な知識があるわけではないけれど、身体で知っている。だから僕も身体を動かすことを含め、関心を持ったことは何でもやりたい」

 内山さんの仕事を見ると、哲学が「総合学問」であることがよくわかる。