むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

放置するならあげればいいのにね。

 歩く。ぼーと、歩く。雪どけの畑のアチコチに、白菜の根っこが切られて放置されている。大根も。自分の家では「食べない」目安だろうが、なぜ、あげれないのだろう。

 前々から、七不思議のひとつである。譲り合いのこころが、いつしかなくなってきている。ぼくが住むむらだけかもしれない。

 おかしなことだ。