むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

ムラの「幸福論」を考える

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 「頑張れという励ましは、時に脅迫のようにも聞こえる。上のほうから、地方創生だの一億総活躍社会だのと言われるのは息苦しい。そもそも何のため、誰のための頑張りであり経済成長なのか」ーーこのように、哲学者の内山節さんは切り出す。

 競争社会から一歩、身を退きたい。多様な生き方を認めるなら、経済理論もいくつかあっていいはずだ。
 「半市場経済」を説く。聞きなれない言葉だが、字面から想像されるように、資本主義経済を否定はしないものの、金だけではない交流や助け合いによる生活のしやすさを確保する社会のことだ。

 高層ビルやタンカーの建造、自動車や家電の大量生産、効率的流通販売には大資本が必要であり、その健全な発展には市場経済が向いている。新幹線や飛行機の運行・運航も同様。だが日常の食料の獲得やちょっとした修繕には、必ずしも通貨を介在させる必要はない。

 「田舎暮らしは金がかからない」と内山先生は言う。

 これには、異論を唱えたい。助け合いでムラが成り立っているところは、希少である。なにをするにも、補助金頼みである。で、ある程度の生活基盤が支えられているからだ。

 半市場経済の基本はあくまで相互扶助であり、参加者は「自分は何をして欲しいか」だけではなく「自分は何をできるか(返礼ができるか)」を常に問わなければならないだろう。

 ムラは、いつまでも、「欲しい」だけである。

 近代以降の都市化社会は、そうした付き合いの煩わしさを、金で肩代わりして削ってきた。人間らしさを取り戻すといっても、昔に戻せばいいという話でもない。

 市場至上主義と関係性尊重の幸福な中間点はどのあたりに見出せるのか。幸福をめぐる探求はまだ始まったばかりだ。

 ムラの幸福論は、読んだことがな