むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

≪連載≫哲学者内山節さんと対話 [中] 少数派といえなくなったフリーター。 自分自身のやりたいことが分からなくなっている。

就職するには高校よりは、大学を出たほうが?!

――資本主義システムと日本的労働観が不分明な形でコチャゴチャになってきていることでしようか。

内山 これまでは労働の周りに付着しているプレミア部分で仕事のつまらなさが補われていた。プレミア部分というのは終身雇用とか毎年賃金が上がっていくとかいう部分ですが、確かにそれは一面で働く人にとってはありがたかったわけです。

結婚して子どもができれば大学を卒業させるぐらいのことはできるとか、ぜいたくをしなければ家1軒建てられたりしましたから。しかし、それは労働そのものの価値ではなくて、労働に付着していたプレミア部分の価値だったのです。この部分が安定装置として働いた。

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 ところが、今ではプレミアがはがれてきた。終身雇用で入社したのに、翌年には、「君、要らないよ」という状況にも直面する。賃金も下がる。そうすると仕事のつまらなさを補うものがなくなる。

 ――労働観の概念が変貌してきた?

内山 学生は、仕事をどうするかを考えた経験もなく大学に入学するわけです。就職するためには大学を出たほうが、せめて高校は出ないよりは、という感覚で。就職のための学歴が必要だという形だけが残り、仕事についての考察は喪失している。

むしろ仕事を念頭に置いているのは専門学校の学生ですが、今、大学生は環境関係の仕事に就きたいという人がすごく多くなっている。しかし環境関係の仕事にはいろんな仕方があって、環境省に入って仕事をするのも、どこかの研究所に行くのも、農業とか林業をやりながら環境と調和した農業、林業のあり方を探っていく方法もある。

仕事の幅は、何百も何千もあって、その中で自分はどういう形で関わっていきたいのかを考えなければいけないのですが、ほとんど考えていないのが現実でしょう。大企業に入りたい、製造関係とか流通関係の仕事がしたいみたいな大ざっぱな分け方しかできていないのです。

フランスでは中学卒、高校卒で働く若者が多い

 ――環境の何の仕事に就きたいかという枝葉がないのですね。

内山 せいぜい国際的な環境関係の仕事がしたいとか。ごみ処理問題でも農業問題でも、場合によればメーカーの研究所で炭酸ガスが出ない電気製品を開発するとか、国際的な環境関係の仕事はたくさんあるのですが、そういう仕事の具体性が見えていない時代なのです。

 ――就職観の隔たりは世界的な傾向でしょうか。

内山 多分、そうです。フランスは日本と比べると大学進学率が低かった。大学に行くことイコールエリートみたいな面が、比較的最近まで保障されていたが、1980年代ぐらいから崩れた。

 今は日本と同じぐらいの進学率になってきていますから、当然、大学を出たからというだけで就職できるわけでもなくなっており大変です。その一方、日本的にいえば中卒、高卒で働く人たちがフランスは結構多い。

 社会現象は日本で起きているような問題はすべて起きています。都市部では、少年犯罪、しかも凶悪犯罪の増加、学内のいじめ、校内暴力とか、引きこもりはあまり聞かないですが、中学生が自宅は出ているが学校に行かないで、途中で集団になって強盗をやっているとか、たくさんあります。

 ――スムーズにいっているところは、世界でもないわけですよね。

内山 先進国の共通病だと思います。それをどう解決するかが、どこの国でも課題になっている。

 一般論として資本主義社会の解決できない問題が新しいかたちで出てきているといってよい。というのは商品は、どんなに素晴らしい商品をつくっても、人が評価してくれなければ売れない。逆にいえば、どんなつまらない物でも、評価が得られれば売れる。

マスコミを介して評価が高まれば、つまらないモノでも売れる

しかも、その評価というのは使ってみて本当によかったという評価ではなくて、例えばテレビで取り上げられたりすると売れる。だから、マスメディアとかいろんな媒体を使っていい評価が出れば、つまらない物でも100万個売れて、いい物でも世間の評価が上がらないために100個しか売れないという現象が生まれる。

しかも、売れた物の方が商品として価値がある。それが資本主義社会です。

 テレビの視聴率みたいなもので、いい番組かどうかの基準は、たくさんの人が見たかどうかと同じなのです。そういう場面にずっと身を置いていると、自分の価値も、他人が自分をどのように評価してくれているかになってくる。

社会全体がそうだから、それにずっと付き合っているうちに、意図しないでも外が自分をどう評価してくれているかが自分の価値基準になる。ブランド物のかばんを持っているのも、それを持っていることで他人が自分をどう評価してくれるかでしょう。

 こうして、外が自分をどう評価するかが、自分の価値基準にならざるを得ないような仕組みができあがる。フリーターでも、フリーターが極めて少数の時は早くフリーターを脱出しようと考えるが、今は少数派とはいえなくなっている。

そうすると、フリーターのままで自分の仲間の世界ではちゃんと評価されるようになる。そのことで、それもまた一つの生き方になっていく。

 外からの評価が自分の評価であるという仕組のなかに身をおいていると、外の評価は気にするが、自分自身の本当にやりたいことは分からなくなっていく、これはいわば資本主義の持っている現代の共通病なのです。(つづく)