むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ふるまいのモノサシ

相手の立場に立って行動しろなんてことを言えるのは、そういう区別のない世界の住人だけだろう。 矛盾のない人間だけだ。 誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よくふるまってるだけなんだ。

伝達のワナ

これは何ですかーーという質問は、形としては事実を尋ねる質問なのだが、この場合は現実には「あなたはこれが何だと思いますか?」という相手の考えを尋ねる質問になってしまう。 聞く側と答える側に、上下関係や利害関係がある場合、下に位置する者は、どう…

感受性の純度

物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。 人によっては感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りが少ないということがありう…

寄り道の景色

例えば、敷かれた線路のうえを進むことは難しくない。 そこからハズれることは勇気がいる。 他人から見れば脱線したように見えることもある。でもそこから見えてくる世界もある。 踏みはずす勇気。 案外スッキリする。 重たすぎる荷物をすこし降ろすだけで、…

仙たる気

大雨で閉じこもっていた翌日、庭に白くゆれているスイセンの花をみいだした。あのすさまじい雨のなかに、咲きだしたのか、大きく花びらを開いている。 白い花冠、黄の副冠。 すがすがと香りをはなつスイセンの仙たる気である。 ラッパスイセンや口紅スイセン…

心の時間

時計は、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものだろう。 光を視るためには眼があり、音を聴くためには耳があるのとおなじに、時間を感じるために心がある。 もしその心が時間を感じとらないようなときには、その…

手仕事の良さ

情報の洪水のなかで、ひとは体験することなく物事を語り、判断し、手足で働くことを忘れつつある。

ありふれた偶然の一致現象

偶然の一致は、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうか。そういう類のものごとは、まわりでしょっちゅう日常的に起こっている。 大半は目にとまることなく、そのまま見過ごされている。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かす…

寄り添って咲くみつまた

みつまたの花は、寄り添って暮らす家族のようだ。ちいさな力が合わさって、結束する。 山の奥で、誰人に見られるためでもなく咲く。 ひとのために咲くではない花。 華自身のいのちの在りように照らされて、力づけられる。 黙々と咲き、黙々と散る姿に元気づ…

ゆず効果で風邪知らず

久しぶりに好天になったので、ゆずを収穫した。ことしは、ゆずのなりどしでいつになくぜい沢に加工して楽しんでいる。 ジュース、ジャム、味噌、味噌漬けに、さらには毎日、風呂に2個入れて入浴剤。 朝はパンにジャムとして、またホットジュースに。昼はご…

「聴く」と「待つ」こと

今の社会の評価制度においては、人の話を聴くこと、人の気づきを待つことは、能力として評価されない。しかし本来、「聴く」ことも「待つ」ことも、広義の人をもてなすことの核をなす大切な営みであるはずである。 ひと言でいえば、(他者に)「時間をあげる…

文脈を編む編集の必要性

情報の収集はソフトウェアで可能だが、文脈を編むためには人間の視点が欠かせない。そのような編集の価値がいまより高まる。 なぜなら、相対的に質の低いものがまん延するから。

ちいさな目標

できない理由を探すから、不可能に思える。できる理由を探していけば、不可能を可能にする方法が必ず見えてくる。 一生かけても達成できないと思えてしまうのは、一つ一つの小さな目標を達成する速度が常識的だから。目標を達成するのにかける時間は、常識か…

響き合える変化の確信

コミュニケーションは、鏡のようなところがある。 オープンに話をしようとすると、相手もオープンに話してくれる。逆に、「どうも合わないなぁ」と思うと、言いたいことの半分も言えないと感じていたら、相手もそんなふうに受け止めていることが多いと思う。…

星の優しさ

ひとの最も弱いところは、他人から干渉を受けたいという感情だろう。 ひとに好かれたいと思う感情が、通常、ひとの内部の思考領域を限定する。その感情こそが自由を奪う。 暗夜にまたたく一点の星は、一点ゆえにかえって大きく光って見え、通行く旅人たちを…

ひとりの二人

ひとりでいられない人は 二人ではいられない。 さびしさや退屈しのぎで人とつきあうと、結局、さびしい関係で終わる。 ひとりでいられる人が ふたりでも楽しい。

問題をつくる歓び

「なぜ」「どうして」というあれこれの好奇心。 問題は、そんな好奇心を母胎にして、心の中から湧いてくるものである。 一方的に与えられるものだけが「問題」ではなく、それぞれの人間が”つくる”べきものなのである。 テレビはどうして見えるんだろう、と考…

紅に染まる

朝晩の秋冷に、南天の実が紅に染まってきた。 美しい実だ。 音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされる。 鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。 福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。 南天の葉を赤飯に…

帰り咲のツツジ。大雪の兆候か

冷え込んだ朝。前庭を散歩していると、淡いピンクのツツジがリンと咲いている。 秋の気温や日照時間が春と似ているために、木が間違えて花を咲かせるという現象だそうだ。 帰り花、狂い花というらしい。 日本歳時記によると、「桜、桃、ツツジなどの花が11月…

イケメン石浦、新入幕で優勝候補

宮城野部屋の石浦が、新入幕で、いきなり優勝候補にのしあがっている。 ハリウッドの人気映画の出演を断って大相撲の世界に入ったことは、あまりにも有名な逸話である。 173センチ、110キロ。小兵で、身のこなしが素早さく、相手のふところに入ってか…

散り落ちるサザンカ

庭土にしみいる雨に、サザンカが散り落ち始めた。淡い白色の花がさびしげである。 黄に照りいでたいちょうが盛りで、華やいでいるさまは、秋爛漫である。 はたりとひらひらの音をたてて散ったりする。 木々がりりしい裸木の線をみせる時季が、一足飛びにくる…

むらびとで、どこにもない、むらの「モノサシ」をつくるときである

30年後、50年後の姿を描くことが難しい集落が多く存在する。 「過疎化」と「高齢化」というおなじみの言葉が今なおずっしりと集落にのしかかり、ますますその重みを増しつつある。 農村集落は地域の人々のたゆまぬ努力によって、農地、山林をはじめすべての…

簾内敬司さんが遺した本

久しく連絡してなかった東北の知人に電話した。ほどなく会話して、出版人として、書き手として尊敬している簾内敬司さんのことにおよんだ。 うかつにも亡くなっていたことをしらなかった。 1975年から88年まで、「秋田書房」を経営していた。東北の自…

むらの維持に急がれる集落福祉

住み慣れた集落で、いつまでも安心、安全に暮らせる集落独自の「集落福祉」の在りようが急がれる。 「集落福祉」とは、集落機能が衰退する集落に住み続けることの困難さが増している現状のもとで、集落維持に必要となる福祉機能のことである。○1集落に住み続…

地域づくりには不向きなNPO組織

市町村合併によって、行政のきめ細やかな対応能力が失なわれた。中心部から離れた山間の小集落は、厳しい。それがもとで限界集落化、消滅への道を歩みだしている。 その動きをくい止めるべく、さまざまな新しい組織づくりが進んでいる。目立つのは、NPO法…

むらを見守る金色のいちょう

むらを見守るいちょうの木がある。御堂のまえに屹立する。 鮮やかな黄に色ずく。全身を明るくかがやかせる。おびただしく散りくる葉のなかから、色のきれいな葉をひろう。 植物には珍しく精虫をもつ。 雌雄別株で、雌株には風味すぐれたぎんなんがみのる。

結びつきの雰囲気

自分の欲求を口に出すと、他人の欲求とぶつかるときがある。 いい人ではいられないケースもある。 欲求をぶつけながら、お互いが喜べる道を見つけていく。 結びつきを深めるための、一助のような気がする。

空っぽの清々しさ

大切なものだけを心の引き出しにしまって、あとは空っぽにする。 いったん からっぽにしてみると、 大切だと思えるものがわかってくるから、また足していけばいい。 本当に大切なものは、空っぽにしたつもりでも、 心の底に必ずひっかかっている。

ズレを補い合う相性

ひとと、ひとは、どこかが少しずつズレていて、それを補うために他の誰かが必要なんだ。 相性がいいってのは、ズレた部分がかち合わずに上手くおさまることを言うんだと思う。

簡素のすべ

風向きの定まらないこの世で、生き抜くすべがある。 すべてを簡素にしておくことである。