むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

メール派、声派?

「あたたはメール派、声派?」という携帯でのコミュニケーションのとりかたについての座談会にオブザーバーとして出た。男女20代から50代まで20人。 結論だけいうと、7割がメール派だった。まあ、「そうだろう」と納得した。 考え方の傾向として、若…

心の時間

時計は、ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのかもしれない。 光を見るためには目があり、音を聴くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じるために心がある。 もしその心が時間を感じとらないような…

ルポルタージュの礎を築いた松原岩五郎

わが国のルポルタージュの礎をきずいた松原岩五郎。 『征塵余禄』(明治29年2月19日)の復刻本を出版して16年もたつ。 松原研究の第一人者、山田博光先生の助言がなければ、機を逸するところだった。 先生から「松原の古書が大量に出た」との電話が入…

編集の地産地消

「編集っていう作業は、かたちが見えないからボランティアよ」--ある町の町誌づくりに携わり、ほどなく経ってから担当者からこう言われたときは唖然とした。 県内外町村の自治体誌の編集に携わるケースが多い。 長いので6年(全国から比べると短すぎて無…

宮本輝さんも愛用する万年筆

チチッ、シェーン。華やかな店内の奥まった工房から、ロクロで万年筆の軸を挽(ひ)く音が聴こえてくる。ガラスで隔てられた畳一畳ほどが仕事場である。お客さんには見向きもせず、黙々と指を走らせる。 ペン先から軸までこなすオーダーメイドの万年筆職人の…

青山剛昌先生との1時間

「ない」とあきらめていた貴重な録音テープが、本のあいだから出てきた。いまや、人気漫画家として不動の地位を築いている青山剛昌先生との取材テープである。 そもそも、青山先生に初めてお会いさせてもらったのは、1991年6月だった。当時、27歳。週…

「近代文学」の論客・本多秋五の名古屋時代

本多秋五の”落ち穂拾い”をはじめて三〇年になろうか。先達の評論家のような確たる研究は、力量不足でおよばない。名古屋タイムズでの新聞記者時代、いまは亡き木全円寿さん(同人雑誌『北斗』前主宰者)の「地元・挙母に残した本多資料を探せ」との指導で、…

こころのすき間

ひとは住む場所を失っても、だれかの心の中に棲んでいられる。 ひとの心に隙間があるのは、だれかを迎え入れるためなんだと。だから、人はいつも寂しさを感じてしまう。 縁って不思議です。 ひとつの円になって繋がっている。

民藝に生きる陶工

「伝統が重荷になってくるのはこれからでしょうが、自分が生かせるこんな素晴らしい仕事はないでしょうね」 江戸期から連綿と受け継がれている日本でも有数の民窯である鳥取県鳥取市河原町の牛ノ戸焼。 「しきたりは守っていかなければならない。でも新たな…

2007年、阪神能見投手のインタビュー

20年ほど、朝日新聞系のスポーツブロック紙で編集長をしていたことがある。阪神の能見投手を追いかけていた。当時の記事が出てきた。 2004年のドラフト自由枠で阪神に入団した鳥取城北高出身の能見篤史投手。2シーズンとも思いどうりの結果が残せず「…

コンテンポラリーに生きる

渡辺京二さんの、コンテンポラリーが知りたくなった。『北一輝』からの出会いだから40年の付き合いになる。 『無名の人生』では、幸福論を書いた。「自分で自分の一生の主人公であろう」とした半生をもとに語っている。 むずかしい言葉はないから、2時間…

わがままな過疎集落

限界集落から、あやうく、孤立集落になる寸前だった。 まだ80センチは、ある。明日は晴れるようだが、一気にはとけない。 33年ぶりの大雪だが、油断していると、またたく間にひずみがでる。 いなかほど絆があるようにいわれるが、いなかほど繋がりはない…

寛かなれ

子どもが「チャレンジしてみたい」と言ってきたことにはできる限り応えてきた。 ここからが肝心。 子どもが習いたいと発言したことには、責任を持たせる。「つまらない」から、「飽きた」から、「うまくできない」からなどの理由でやめさせることはさせなか…

梅干しのシアワセ

おにぎりなのですから、たくさんのおかずはいらない。たとえ梅干でも、一つだけ「真ん中」にあれば、充分である。 シンプルな食事こそ、腹いっぱいになる。

下りるとき

習慣という<怪物>は、どのような悪事にもたちまちひとを無感覚にさせてしまうが、半面それは天使の役割もする。 終始、良い行いをするような心がけになれば、初めは慣れぬ借り着も、いつかは身についた普段着同様、おいおい肌に慣れてくる。 今宵一夜をお…

あけもどろ

習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、半面それは天使の役割もする。終始、良い行いをなさるようお心がけになれば、初めは慣れぬ借り着も、いつかは身についた普段着同様、おいおい肌に慣れてくる。 今宵一夜をおつつし…

ふしぎな運

運はひとの努力で呼び込めるものでもなければ、つなぎ止めておけるものでもない。どこからともなくやって来て、ひとの手の決して届かないところで物事の左右を決して去っていく。 そういうもの。それだけにとても歯がゆい、悔しい思いもするけれど、運なくし…

自責の重み

「他責」で考えがちな現象に対して、「自責」の視点を持ち込んでみると、それまではしようがないと思いがちだったことに対して、驚くほど、自分ができたはずのことが見えてくる。 「他責」で考えていると、問題の解決は他人任せになってしまうが、「自責」で…

不安のゆくえ

「不安は力なり」そう言っても、決してオーバーだと感じない。不安がなければ、こんなふうに毎日を生きてはいられないのではないか。 頭から不安を追いはらおうなどと考えずに、不安を生きる力とする道をさがしてみたい。

断つ発想

質素に暮らしたいとねがいながら、たくさんのモノを常に持とうとし、なくなったら買い足すことに躍起になっている。 見直す。 本当に必要か。ときどき自分に問うて、しかも買わずにすます方法はないのかという発想をともなって考えてみる。