むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

弱さの「強さ」

http://img07.shop-pro.jp/PA01030/532/product/70908718.jpg?20140221155340 文化人類学の辻信一さんのことばが忘れられない。 朝日新聞の「弱さの強さー成熟社会を生きる」で、こんなことを話しておられた。 「赤ん坊で生まれ、老いて死ぬ。人生の長期間に…

本多秋五と豊田市

本多秋五の”落ち穂拾い”をはじめて30年になろうか。先達の評論家のような確たる研究は、力量不足でおよばない。 名古屋タイムズでの新聞記者時代、いまは亡き木全円寿さん(同人雑誌『北斗』前主宰者)の「地元・挙母に残した本多資料を探せ」との指導で、…

岡村昭彦のシャッターeye

写真は、シャッター以前で決まるーーこの格言を遺したのは、岡村昭彦さんだった。 わかる。 写しだされた1枚。 わが心が華とする優しさ。 心象華譜。

大雪だった。ひと段落

記録的な豪雪となった。 大雪となって、ライフラインにも支障をきたしつつある。 集落を流れる側溝に雪を流しこむため、一気につまって、道路に水があふれてきた。 玄関先もかいても、かいても、おっつかない。

従軍記者松原岩五郎の覚悟

明治27年におきた日清戦争は、近代日本における初めての対外戦争だった。新聞社はこぞって従軍記者を派遣、速報をしのぎあった。 戦争の是非を問うのがメディアの役割だが、販売部数を伸ばして経営規模を成長させて「マスメディア」とするのも、戦争である…

木村伊兵衛さんの眼

ムダの効用がありそうだ。 わが国の近代写真史の最重要人物・木村伊兵衛さんは、ムダとわかっても出かけた。 冬の秋田。 手元も見えないほどの激しい吹雪にもかかわらず、撮影に出向く。 仕事ができないことではムダだが、たとえ撮れなくても、「自分を厳し…

木山捷平さんの心

木山捷平さんが「中央」から注目されるのは、50歳をすぎてからだ。本領発揮していた64歳のとしに、がんでなくなる。反骨をひめながら、飄々たるユーモアのある文章は心をうつ。 飄々淡々としているようにみえて、腰のすわった処世はできるものでない。安…

戦争をさめた眼で活写した松原岩五郎

明治27年におきた日清戦争は、近代日本における初めての対外戦争だった。新聞社はこぞって従軍記者を派遣、速報をしのぎあった。 戦争の是非を問うのがメディアの役割だが、販売部数を伸ばして経営規模を成長させて「マスメディア」とするのも、戦争である…

樋口一葉を師と仰いだ田中古代子

大正期に大阪朝日新聞懸賞小説で入選し、将来を嘱望された女流作家がいた。 田中古代子(1897-1935)で、非命にたおれた38年だった。 いつ、どこで、どのようにして文学に開眼したのかはしらない。 小説を書き、詩を書き、随筆を書き、そしてそれ…

むのたけじの遺言

『解放への十字路』から、むのの解くジャーナリズムを考える。 もともと、この題名は『解放』ではなく、『革命』だと、むのの奥さんから生前聴いたことがある。 ジャーナリズムの本来の任務は、歴史の記録者であり、証言者である。歴史の主体は民衆であるか…

7歳で逝った少女の詩

<こぼれるような 雨がふる 木のは と雨が なんだかはなしを するようだ 山もたんぼも雨ばかり びっしょりぬれて うれしそう (雨と木のは)> 詩情があふれでている。 7歳の幼齢の少女が、生み出した世界である。90年のときを経ても、問いかける。 少女…

探訪作家、松原岩五郎の名著を復刻

わが国のルポルタージュの礎をきずいた松原岩五郎。『征塵余禄』(明治29年2月19日)の復刻本を出版して16年もたつ。 松原研究の第一人者、山田博光先生の助言がなければ、機を逸するところだった。 先生から「松原の古書が大量に出た」との電話が入…

木全円寿と本多秋五

本多秋五の”落ち穂拾い”をはじめて三〇年になろうか。先達の評論家のような確たる研究は、力量不足でおよばない。名古屋タイムズでの新聞記者時代、いまは亡き木全円寿さん(同人雑誌『北斗』前主宰者)の「地元・挙母に残した本多資料を探せ」との指導で、…

むのたけじの箴言

40数年前、師・むのたけじさんから言われた。「人づきあいで大切なことは、これはおかしいと思ったらハッキリ言うことだ」と。友だち、恋人、仕事であっても、言いにくいことであっても口に出す。 このことは、非難や否定ではなく、相手を生かすことである…