むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

Carp 黒田投手が今季で引退

今、もっとも注目のプロ野球投手だろう。 広島カープの黒田投手が、今季かぎりで引退するそうだ。 2008年にFA権を行使し、ドジャースへ移籍。2012年、ヤンキースに移籍したにもかかわらず「自分を育ててくれたチーム。当然愛着があります」と言って…

「学ぶ」習慣の共通点

「学ぶ」習慣を身につけたひとには、いくつかの共通点がある。 ●いつも雑記帳をもって、なにかあると、ぱっと取りだしてメモる。本の感想、情報、ひとから聴いたこと、感じたこと、予定などである。 ●いつも本屋にいる。 ●風邪をひかない。集まりがあるのに…

時代を変えた詩人

ボブ・ディランは詩人だ。。小説も詩も歌詞も、言葉の力。 時代は変わっていく。 自分の言葉を自分のメロディーに乗せて歌うそのスタイルは、ビートルズとともに日本のミュージックシーンも変えた。フォークの教祖といわれた岡林信康も、貴公子と呼ばれた吉…

秋色に映えるつわぶきの黄

黄のつわぶきの花が映える。折からふりそそぐ細い雨。つやのあるつわぶきの葉を、冷たく光らせる。 花の黄には、無口なひとの思いのように、煮つめたかなしみが倚りそう。 コスモスにも似る。 秋色に映えるが、はなやかな風情ではない。 年中つやつや茂る葉…

わかりあえることが、わかる

相手のことがわからないからわかり合おうとする。 わからないから話を聴く。一生懸命話す。わかりたくなる。 気づいてしまえば、広がる。 でも、滅多にわかり合えるものではない。

秋祭り

ことしも、ムラに秋祭りがやってきた。収穫に感謝する秋祭りは、ムラがきり拓かれた江戸時代初期から途絶えることなく続けられてきている。 祭りの主役ともいえる「花かご」の大役は、伝統的に集落の未婚の若い男性がになってきた。 とはいえ、集落から若い…

楽しく落ちていく方法

数年前、哲学者の内山節さんにインタビューしたおり、これからの社会は「伝統回帰」と、「楽しく落ちていく方法」を力説していた。 伝統回帰は、その後、上野村で実践しておられる。 内山 現在の変化では仕事自体がつまらなくなるばかりなので、やはりその社…

ムラの消滅

「人の空洞化」→「土地の空洞化」→「ムラの空洞化」→「ムラの消滅」 これを前から順に言い換えれば、「過疎化」→「耕作放棄(減反)」→「社会的空白地域化(集落機能の極小化)」→「人口空白地域(廃村)」となる。 これに対応してどういう政治行政が行なわ…

「深く感じる」

「考える」ことが求められている。 「考える」とは、理屈をつけることではなく「深く感じる」ということ。「深く感じる」力を自分のなかに育てられないと、何も見えてこない。 自分自身との対話である。 中途半端だと、愚痴になるけど。

稲刈りの季節になると立松和平さんとの語らいを思い出す

旺盛な作家活動と併行して、自然環境保護問題のほか、農山漁村のあり方、さらには仏教にと積極的な発言をしていた作家の立松和平さん(1947年12月―2010年2月)に、田舎暮らしの現状とこれからのあり方、みずからも実践している農業について忌博の…

リスクとプロフィット

プロフィット(利潤)とリスクは、イコールである。 日本人の欠点は安心、安全、安定志向。当然、プロフィットはうまれない。

空っぽ

大切なものだけを心の引き出しにしまって、 あとは からっぽにする。 いったん からっぽにしてみると、 大切だと思えるものがわかってくるから、 また足していけばいい。 本当に大切なものは、 からっぽにしたつもりでも、 心の底に必ずひっかかっているから…

散る金色の香り

金色(こんじき)の香りを謳歌したキンモクセイが散った。大気が清らかでないと、木が弱り、花も香りも貧しくなるようだから、この地は健康といえる。 葉っぱは、常緑だが平凡で人目につかない。平素は所在すらわすれがちになる。 花も小さく、鑑賞するほで…

生命を問う筋道

数冊の本をだし、100冊をこえる本の編集をしてきた。長い時間をかけて、いくつかの生命をおっている。 ひとつの生命が、生きて、何かをし、そして死んでいった。 たとえ、しゃぼん玉で消えても、ひとつだって見捨てていい生命があるだろうか。 ひとつの生…

無師独悟

独学には干渉も、束縛もない自由がある。おのれが主役である。 競争もない。 若いときは、ありあまる時間でなんでも取りいれて貯める。 初老を過ぎてからの仕事は、いらないものを棄てさることである。 見えてくるのは、純粋だけである。