むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

師に教わる

 教師とは「教える仕事師」ではなくて、「師に教わる」ひとである。万人、万事に学ぶ努力と能力とにその職務の特質があって、みずから学ぶからして他者をも学ばせることができる。

 一群の教師たちは「教育の荒廃」に学ぶ。ひたむきに学んだ。「荒廃」という形容詞すら荒廃し、「正常化」という名目も異常化がいたるところに骨がらみをひきおこした事態を、その過程を、反面教師として活用しただけでなく、正面の教材として学習した。

 「われら生涯ヒラ教員」という静かな雄叫びがうまれたのは、静岡県の教師だった。

 悲鳴も愚痴も被害届も、いまは敵の食欲をそそるだけだ。どんなに暗かろうと、石さえあれば大丈夫だ。苦悩する石は火種を産み、一点の火種がやがて荒野を焼いて、そこを畑に変えていく。