むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

名探偵コナンの作者青山剛昌先生に会ったときのこと

 今日のトレンドに、名探偵コナンがダントツであがっていた。作者の青山剛昌先生に初めてお会いさせてもらったのは、1991年6月だった。当時、27歳。週刊少年サンデーに「YAIBA」を連載中で、単行本も数冊であった。

 とはいえ、アシスタントは4人もかかえていた。「日芸」当時に、マンガ研究会に所属、大学卒業と同時に漫画家の道に。「ちっとまってて」で少年サンデー増刊号でデビュー。「まじっく快斗」を経てトントン拍子で走りつづけている。

 下積み生活はなく「ジャパニーズ・ドリーム」を実現させた若者として英文誌「パシフィックフレンド」にも紹介されたほどの勢いであった。

 当時、先生との取材は比較的容易であった。東京の知り合いの編集者を介してアポをとれば、お会いさせてもらえた。

 それから1度、10分でもとお会いさせてもらいさせてもらってからは「コナン」が一大ブレークし、まったく連絡さえ困難となった。出版社のガードがかたくなった。動向を知る手段は、雑誌と単行本になった。

 最近お会いさせてもらったのは1997年6月25日である。

 ある県の情報誌での取材であった。お会いさせてもらうまでがひと苦労であった。深夜2時ごろ、担当者に電話作戦である。半月はつづいた。ようやく「快諾」のお墨付きをもらっても、お会いするまでは信じられなかった。

 難産のすえ、お会いさせてもらった。

 苦労がいっぺんにふっとんだ。担当者からは「15分から20分ていどで切り上げて」と苦言を呈さていたが、お会いさせてもらえばこちらの編集者の力量である。

 たっぷりと1時間は取材させてもらった。文章は同行した東京のライターになっているが、わたしがゴーストで書いたものである。雑誌にはよくあることである。内容は削りに削って2ページたらずで、満足のいくものではない。

 テープの採録は、担当者から「媒体はひとつ」と確約されているため、公表はできない。わたしだけの秘宝である。久しぶりに聞いてみたが、実に面白い。