むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「幸福」の共通行動

「幸福」だと感じている人の多くが、共通している行動がある。 それは次の三つになる。 1.自分の短所や欠点をしっかりと把握する。 2.それらを美徳ととらえる価値観を受け入れる。 3.短所や欠点を美徳ととらえる自分を誇りに思う 。

心で見る

眼は心に繋がっている。 そこにあるものをあるがままに見るのではなく、見たいと望むものを捉えてしまうのである。 そして、見たくないものを捉えようとはしない。

食べごろのブロッコリー

シーズンに入った冬物野菜が、相変わらず高騰がつづいている。 とくに白菜が高い、高すぎる。まあ、高いモノは食べなければいい。 天候不順で高値だったブロッコリーが手頃になってきた。 わが家の自家製ブロッコリーも、食べごろになった。 湯がいて、茎は…

負の連鎖<確信

できると思う心のどこかに、無理かもしれないと思う心があると、次から次に無理が出てくる。 負けるかもしれないと思う心があると、そこで負ける。 もうダメかなと思う心があると、そこからダメになる。 失敗しそうだなと思う心があると、確かに失敗する。 …

根っ子の根

変わるまえも、変わったあとも、続いている間は、楽。本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っ子ごと掘り起こすような作業をしないといけない。 かといってその根っ子を捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないと…

頭脳<感受性

モノを考えるのは、すべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ感受性であることのほうが割合としては大きいであろう。 人によっては感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りが少ないということがありうる。

器の器量

師から言われた。「家族というものはな、その中に、一人でも不幸な者がおると、皆がそろって不幸になってしまうという、じつに理不尽な掟で結ばれた者同士のことを言うんじゃ。 逆に言うと、家族の中の一人が幸せになるためには、他の全員も幸せでなくてはな…

心地いい距離感

コンディションが悪いと、どこかが狂っていて、すぐに落ちてくる球しか投げられない。あるいは、無意識のうちに山なりで投げることをやめてしまい、ビュッと真っ直ぐ普通に投げている。 感覚が冴えない。 距離感が悪い、といってもいい。 山なりに軽く投げて…