20年ぶりに歯医者に通うようになって、自律神経が崩れた。虫歯の治療だ。生きながらえるために、治療することにした。1週間に1回。約30分ほどの治療だが、ストレスがたまる。1か月ほどして、偏重をきたした。食事がすすまない。だるさ、倦怠感に襲われる。
行きつけに医院にいけばいいのだが、運転する気力がおきない。薬を服用して、どうにか喉を通るまでになった。
弱ったときは、自力で奮い立たせてきた。
単独では、なかなか暮らしが難しくなった。
20年ぶりに歯医者に通うようになって、自律神経が崩れた。虫歯の治療だ。生きながらえるために、治療することにした。1週間に1回。約30分ほどの治療だが、ストレスがたまる。1か月ほどして、偏重をきたした。食事がすすまない。だるさ、倦怠感に襲われる。
行きつけに医院にいけばいいのだが、運転する気力がおきない。薬を服用して、どうにか喉を通るまでになった。
弱ったときは、自力で奮い立たせてきた。
単独では、なかなか暮らしが難しくなった。
大学を出て新聞記者になって、聞き手と話し手という仕事が確立した。
40歳で、組織を離れた。一平卒になった。肩書きがなくなった。
フリー編集者。
誰も見向きもしないと思いきや、独立経営になって26年たつが、仕事のやり方はまったく変わらない。
聞き手と話し手をつなぐのは、信頼という目にみえない危うい関係しかない。目にはみえないが、あるときは、お金に結びつく。無から有を産む。
ぼくの半生は、信頼で仕事をしてきた。振り返ると、そら恐ろしい。
信頼がなければ、とっくに埋没して死していた。
信頼がなければ、文章も、ただの紙切れだった。
信頼とはなにゆえなのだ。自問自答するが、言葉には出せない。辞書をひもとけば、意味合いはわかるが、それは辞書だけの答えである。
廃業した手漉き紙漉き屋さんから、電話があった。
出向くと、仕事場に、最後にすいた画仙紙と、紙をすくときの簀(す)がおいてあった。簀は、代々受け継がれてきた「生き証人」である。いわば「形見」だ。
「これをもらって」と主人が言った。
「生きてきたあかしは、大切に保存してください」と、聞き手。
「いや、いつも仕事を見続けて応援してくれたお礼です」と主人が返す。
30分ほど、やりとりした。
聞き手が、もらった。
信頼が結んだ結果である。
話し手と聞き手という関係は、まだ続く。
聞き手となって40年すぎた。
叡智とは多くを知ることではない。叡智とはなるべくたくさん知ることではなくて、どんなのが一番必要な知識で、どんなのがそうまで必要でなく、どんなのがもっともっと必要でないかを知ることである。
人間に必要な知識のなかでも最も大切なのは、いかにしてよく生きるかについての知識である。
現代の人々はいろんな無駄なことは研究するけれど、この一番大事なことだけは学ぼうとしない。
陽気がよくなった。過疎の農村をクルマで、まるっと3日間駆ける。残雪が残る。民家の軒先が、へし折れている。大雪の残骸だ。
途中で、村人に聞き書きする。「大雪に痛めつけられたな。10日もソトに出れんかった」と。
20年付き合いのある手漉き和紙職人が、廃業した。「76歳になるし、先行きも暗いんで辞めたよ。伝統工芸士で、国からも幾度となく表彰されている凄腕のひとだ。
「こんな紙切れは、ナンも役にたたん」と吐き捨てる。
村人は、ガマン強い。「いくら言うても、つっかえ棒にもならん」と。黙る。
待ったなしで消滅する農村。そ知らぬふりの行政。田んぼ、山が荒れれば、町も荒廃する。
もう町も、荒れている。
遠かった。
友人のY君に同行してもらい、片道12時間かけて群馬県上野村にいってきた。哲学者の内山節(たかし)さんに会うためだ。
アポの電話をする前までは、内心ドキドキ。会ってもらえるとは思わなかった。が、電話で用件をつたえると、半日ならいいだろうと承諾してもらえた。
当日は台風10号とかさなり、台風の進路とともに、上野村に着いた。村は鳥取ではおもいもつかないほど道路が未整備。国道でもクルマが行き違いできないほどであった。
帰路、清里や奥村土牛美術館に立ち寄ったりと楽しかった。Y君の願いで佐久総合病院を見学するはずだったが、カーナビが案内してくれなく、しぶしぶ高速道路へと急いだ。
内山さんの取材は、情報誌のインタビューが主目的だった。お会いして差し出された名刺には肩書がない。名前が真ん中にデンとあり、左下脇に仕事場と上野村の住所がつらねてあるだけ。それと紙が今流行りのペラペラでなく、旧来の厚紙である。
聞いたはなしを帰ってからテープ起こしをしてみて名刺に肩書のないことが分かった。奥が深すぎる。
県立図書館にある本はすべて読んだ。膨大な著作である。でも、腑抜けた脳には浸透しない。理解できない。深みにはまりこんだ。原稿がはかどらない。聞き屋の無能さをくやんでいる。
存在論、労働論、自然哲学、時間論から今では森林のエッセイ、山里の暮らしを紡いでおられる。達意の文で、職業作家や新聞記者など足もとにもおよばないほどうまい。語彙がはんぱでない。
生きかた、立ち振る舞いが文章ににじみでている。(ありきたりだな)
「自由論」(岩波書店)にくびったけになっている。5年前の出版なのに版元には、すでにない。手当たりしだい古本屋さんをチェックしてようやく入手したものだ。フィールドの広さと歴史観の深さ、読書量の膨大さ、のどれをとっても一級品である。
「あたたはメール派、声派?」という携帯でのコミュニケーションのとりかたについての座談会にオブザーバーとして出た。男女20代から50代まで20人。
結論だけいうと、7割がメール派だった。まあ、「そうだろう」と納得した。
考え方の傾向として、若い層よりも、年代があがるにつれメール依存に頼るのには驚きだった。この日の出席者だけかもしれないから、軽はずみなことはいえない。
時計は、ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのかもしれない。
光を見るためには目があり、音を聴くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じるために心がある。
もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだろう。