むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

スーパーでは買い物をしない

 買いものは、スーパーではほとんどしない。クルマで30分かけて、温泉地にある「何でも屋」さんまで出向く。

 安い。サカナが新鮮である。目利きのご主人が仕入れてくるので、安心して買える。

 酒粕が、安くてでていたので、たくさん買ってきた。肉に漬けた。野菜にも漬けた。あとは、お汁である。

限界集落は逃亡者たちの楽園である

 十数年、農村集落をじかに聞き書きしてきた。どうやら「井の中の蛙」であった。

 建築家の眼で、集落をみつめてきた原広司先生の好著にめぐりあった。「目からうろこ」とは、このことである。

 「集落の教え100」(彰国社、2500円)である。

 なるほど、とうなづけるのは、「山深いところにある集落は、逃亡者たちがきりひらいた」とのくだりである。

悪口を聴くのはたのしい

 人々は、どうして互いに非難しあうのが好きなのだろう。みんながひとを非難するとき、自分はそんなふうに避難されるようなことはしない、と思っているからである。

 だから、みんなひとの悪口を聴くのが楽しいのである。

 ひとの悪口を言わないでいることは、たいへん困難である。

 桜の攻防で思った。

鳥谷選手はどこにいくのだろう

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 敷かれた線路の上を進むことは難しくない。だが、線路をつくって、そこで走らせた先駆者って、すごいなあと、いつもおもう。

 反面、ハズれることも、勇気がいる。他人からみれば脱線したように見えることもある。でもそこからみえてくる世界もあるだろう。

 きのうからプロ野球のキャンプが始まったが、あの鳥谷選手のウワサがない。どこで歯車が? いま、なにを見ているのだろう。