不思議ですね。 どんなに穏やかに整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期がある。 狂うための期間、と言ってもいいかもしれない。 ひとにはきっと、そういう節目みたいなものが必要なのでしょう 。
インターネット、スマホの普及で、顔を見ない”対話”がほとんどとなっているが、これでは一方通行となりかねない。 やはり、「じか」に会って、「じか」に話して、「じか」に声を聴き、表情を見合うことが、なによりも大切である。
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