2016-01-01から1年間の記事一覧
「幸福」だと感じている人の多くが、共通している行動がある。 それは次の三つになる。 1.自分の短所や欠点をしっかりと把握する。 2.それらを美徳ととらえる価値観を受け入れる。 3.短所や欠点を美徳ととらえる自分を誇りに思う 。
眼は心に繋がっている。 そこにあるものをあるがままに見るのではなく、見たいと望むものを捉えてしまうのである。 そして、見たくないものを捉えようとはしない。
シーズンに入った冬物野菜が、相変わらず高騰がつづいている。 とくに白菜が高い、高すぎる。まあ、高いモノは食べなければいい。 天候不順で高値だったブロッコリーが手頃になってきた。 わが家の自家製ブロッコリーも、食べごろになった。 湯がいて、茎は…
できると思う心のどこかに、無理かもしれないと思う心があると、次から次に無理が出てくる。 負けるかもしれないと思う心があると、そこで負ける。 もうダメかなと思う心があると、そこからダメになる。 失敗しそうだなと思う心があると、確かに失敗する。 …
変わるまえも、変わったあとも、続いている間は、楽。本当に苦しいのは、変わる瞬間。根っ子ごと掘り起こすような作業をしないといけない。 かといってその根っ子を捨ててしまうわけにはいかない。根無し草になってしまう。前からの流れの中で、変わらないと…
モノを考えるのは、すべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ感受性であることのほうが割合としては大きいであろう。 人によっては感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りが少ないということがありうる。
師から言われた。「家族というものはな、その中に、一人でも不幸な者がおると、皆がそろって不幸になってしまうという、じつに理不尽な掟で結ばれた者同士のことを言うんじゃ。 逆に言うと、家族の中の一人が幸せになるためには、他の全員も幸せでなくてはな…
コンディションが悪いと、どこかが狂っていて、すぐに落ちてくる球しか投げられない。あるいは、無意識のうちに山なりで投げることをやめてしまい、ビュッと真っ直ぐ普通に投げている。 感覚が冴えない。 距離感が悪い、といってもいい。 山なりに軽く投げて…
相手の立場に立って行動しろなんてことを言えるのは、そういう区別のない世界の住人だけだろう。 矛盾のない人間だけだ。 誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よくふるまってるだけなんだ。
これは何ですかーーという質問は、形としては事実を尋ねる質問なのだが、この場合は現実には「あなたはこれが何だと思いますか?」という相手の考えを尋ねる質問になってしまう。 聞く側と答える側に、上下関係や利害関係がある場合、下に位置する者は、どう…
物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。 人によっては感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りが少ないということがありう…
例えば、敷かれた線路のうえを進むことは難しくない。 そこからハズれることは勇気がいる。 他人から見れば脱線したように見えることもある。でもそこから見えてくる世界もある。 踏みはずす勇気。 案外スッキリする。 重たすぎる荷物をすこし降ろすだけで、…
大雨で閉じこもっていた翌日、庭に白くゆれているスイセンの花をみいだした。あのすさまじい雨のなかに、咲きだしたのか、大きく花びらを開いている。 白い花冠、黄の副冠。 すがすがと香りをはなつスイセンの仙たる気である。 ラッパスイセンや口紅スイセン…
時計は、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものだろう。 光を視るためには眼があり、音を聴くためには耳があるのとおなじに、時間を感じるために心がある。 もしその心が時間を感じとらないようなときには、その…
情報の洪水のなかで、ひとは体験することなく物事を語り、判断し、手足で働くことを忘れつつある。
偶然の一致は、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうか。そういう類のものごとは、まわりでしょっちゅう日常的に起こっている。 大半は目にとまることなく、そのまま見過ごされている。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かす…
みつまたの花は、寄り添って暮らす家族のようだ。ちいさな力が合わさって、結束する。 山の奥で、誰人に見られるためでもなく咲く。 ひとのために咲くではない花。 華自身のいのちの在りように照らされて、力づけられる。 黙々と咲き、黙々と散る姿に元気づ…
久しぶりに好天になったので、ゆずを収穫した。ことしは、ゆずのなりどしでいつになくぜい沢に加工して楽しんでいる。 ジュース、ジャム、味噌、味噌漬けに、さらには毎日、風呂に2個入れて入浴剤。 朝はパンにジャムとして、またホットジュースに。昼はご…
今の社会の評価制度においては、人の話を聴くこと、人の気づきを待つことは、能力として評価されない。しかし本来、「聴く」ことも「待つ」ことも、広義の人をもてなすことの核をなす大切な営みであるはずである。 ひと言でいえば、(他者に)「時間をあげる…
情報の収集はソフトウェアで可能だが、文脈を編むためには人間の視点が欠かせない。そのような編集の価値がいまより高まる。 なぜなら、相対的に質の低いものがまん延するから。
できない理由を探すから、不可能に思える。できる理由を探していけば、不可能を可能にする方法が必ず見えてくる。 一生かけても達成できないと思えてしまうのは、一つ一つの小さな目標を達成する速度が常識的だから。目標を達成するのにかける時間は、常識か…
コミュニケーションは、鏡のようなところがある。 オープンに話をしようとすると、相手もオープンに話してくれる。逆に、「どうも合わないなぁ」と思うと、言いたいことの半分も言えないと感じていたら、相手もそんなふうに受け止めていることが多いと思う。…
ひとの最も弱いところは、他人から干渉を受けたいという感情だろう。 ひとに好かれたいと思う感情が、通常、ひとの内部の思考領域を限定する。その感情こそが自由を奪う。 暗夜にまたたく一点の星は、一点ゆえにかえって大きく光って見え、通行く旅人たちを…
ひとりでいられない人は 二人ではいられない。 さびしさや退屈しのぎで人とつきあうと、結局、さびしい関係で終わる。 ひとりでいられる人が ふたりでも楽しい。
「なぜ」「どうして」というあれこれの好奇心。 問題は、そんな好奇心を母胎にして、心の中から湧いてくるものである。 一方的に与えられるものだけが「問題」ではなく、それぞれの人間が”つくる”べきものなのである。 テレビはどうして見えるんだろう、と考…
朝晩の秋冷に、南天の実が紅に染まってきた。 美しい実だ。 音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされる。 鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。 福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。 南天の葉を赤飯に…
冷え込んだ朝。前庭を散歩していると、淡いピンクのツツジがリンと咲いている。 秋の気温や日照時間が春と似ているために、木が間違えて花を咲かせるという現象だそうだ。 帰り花、狂い花というらしい。 日本歳時記によると、「桜、桃、ツツジなどの花が11月…
宮城野部屋の石浦が、新入幕で、いきなり優勝候補にのしあがっている。 ハリウッドの人気映画の出演を断って大相撲の世界に入ったことは、あまりにも有名な逸話である。 173センチ、110キロ。小兵で、身のこなしが素早さく、相手のふところに入ってか…
庭土にしみいる雨に、サザンカが散り落ち始めた。淡い白色の花がさびしげである。 黄に照りいでたいちょうが盛りで、華やいでいるさまは、秋爛漫である。 はたりとひらひらの音をたてて散ったりする。 木々がりりしい裸木の線をみせる時季が、一足飛びにくる…
30年後、50年後の姿を描くことが難しい集落が多く存在する。 「過疎化」と「高齢化」というおなじみの言葉が今なおずっしりと集落にのしかかり、ますますその重みを増しつつある。 農村集落は地域の人々のたゆまぬ努力によって、農地、山林をはじめすべての…