木山捷平さんが「中央」から注目されるのは、50歳をすぎてからだ。本領発揮していた64のとしに、がんでなくなる。反骨をひめながら、飄々たるユーモアのある文章は心をうつ。
飄々淡々としているようにみえて、腰のすわった処世はできるものでない。安岡章太郎さんだと思う。「木山さんってのは、天才だぜ」と評したのは。
小説、セッセエのたぐいは読んできた。詩ははじめてだ。「自分の体験を記してある」(井伏鱒二)ので、心にとろけるように入る。
五月!
ふるさとへ帰りたいのう。
ふるさとにかへつて
わらびとりに行きたいのう。
わらびとりに行つて
谷川のほとりで
身内にいつぱい山気を感じながら
ウンコをたれて見たいのう。
ウンコをたれながら
チチツ チチツ となく
山の小鳥がききたいのう。
(ふるさと)
ええのう。24歳のときの作品だ。ユーモラスにうたう。木山さんの流儀だ。
流儀をもつ作家、詩人が少なくなっただけに滋味ふかい。
わかりやすく書くことの難しさを再認識した。