むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

やりたいことがみつかるかまではフリーター 宮本みち子放送大学教授に聞く 【3】

友だち親子のマイナスは、親が子どものレベルに下りてすり寄る

--親がどんな仕事しているかも知らない、「このままずっといってかわいそうにな、満足したものではないだろうな」と子どもたちは見ていて、そういう子どもは自立心が低いというわけですね。

 でも、それでいながら、非常に和やかな“友達親子”という関係が片方ではあるわけですが。

 宮本 そういう親の標準的な姿として、「親は自分に対して優しい」「自分のことをよく分かってくれている」ということがあります。 親は子どもに対してかなり配慮をし、あまり厳しいことは言わず、いろんなことを聞いてやる。

 逆に子どもの側からすると、親のことは知らない、親の人生を見ているとあまり生きがいを持ったものではない、と。ですから、よく言う“友達親子”の関係というのは、親が子どもに対して自分の人生を示したりするということではなく、子どものレベルに下りてきて、子どもにすり寄る形でのあり方です。それが、マイナス面から見た“友達親子”というものだと思います。

 -- “友達親子”というのは、ある意味では親が子どもにこびているわけですね。とても優しくするし、子どもが言うことを否定せず「そうだな、そうだな」と言っている。

 子どもにとってそこは快適な空間だけど、親を尊敬しているとか、親が一生懸命いい人生を生きているな、とは思っていないということですね。

親は子どもに重要なことを伝えていない

宮本 同時にもう一方では、親は子どもに伝えるべき重要なことを伝えていない。具体的には、仕事の世界を教えるとか、どうやって生きていったらいいのかという、生きるノウハウみたいなものを子どもに教えていない。

 内閣府調査だけではなく、この間いろいろやってきたフリーターニートの調査からもはっきりしてきているんです。

 仕事について親から何か教えられたとか、親が仕事の世界について何か語っているということがどのぐらいあったか、というようなことを聞いたことがあるかといえば、ほとんど聞いていないのが過半数です。

 若い人たちの仕事の世界に対するイメージが本当に曖昧模糊としたものです。だれも「仕事に就いて早く稼ぐようになれ」と背中を押すようなこともない。誰も押してくれないから、自分で決めて一歩踏み出すかどうかの問題ですので、大変ですよ。

世の中には選択肢はすごくあるかのように見える。友達が仕事を決めた。自分が内定した仕事と給料で5,000円違った。もうこれだけで悩んじゃう、実態もあります。

 絶対的な価値がないから、本当にささいなことで内定を結局取り消してしまうという状況がある。

 --「おれはこの仕事がやりたくて選んだ」というのがなくて、ただなんとなく、友達も勤めるからおれも勤めようかと。それで、自分のほうが5,000円低かったら、もう嫌だなと。

 宮本 だから、その職業に関する確固としたイメージや本人の選択基準がない。求人広告や求人雑誌、ネットでは分からない。

 ネットなんかの求人情報というのはものすごい量ですから、洪水のような情報の中から自分で選ばなくてはならない。だから、なおさら本人の中に「これ」というものがなければ選べないんですが、それがない。

 親たちや教師たちが唯一言っているのは、「おまえのやりたいことは何だ」という“やりたいこと主義”。これがかなり重要な基準になっている。

 仕事を選択するときには「やりたいこと」がなければならないが「やりたいこと」はそう簡単に見つかるものではない。でも、「やりたいこと」を非常に強調される。それが見つからない今の自分の状態が肯定できないわけです。

それで、まずは「やりたいこと」を見つけるということにエネルギーを費やす。でも、見つからない。見つかるまではフリーターでいい、こういう傾向ですね。

 -- そうした職業教育とか職業観について日本は教えていないから、「こういう仕事をやりたい」というきっかけもなかった。会社員という大きなくくりだけで、そこでどういう細かな仕事をしているのかとか、地味な仕事のようだけど経営的に大切なところであるとか、そういうことを言ってこなかった。

 家庭の中で職業教育をきちんとやっていかなくてはいけないんですね。

 -- そうですね。インターンシップや職業体験などがにわかに出てきていますが、単なる就職対策で職業を教えるというようなことは効果があまりないような気がしています。

 もっと総合的なものだと思います。さきほどの内閣府の調査なんかを見ると、広い意味での社会への関心を身につけているとか、何か機会があったら社会のために貢献したいとか、自分の住んでいる自治体で何かできるものがあったら参加してみたいとか、そういう意識を持っている人は職業意識も非常にはっきりしている。

 広い意味での社会への関心というものと職業の世界を知らせることとは、同時並行でなければいけないような気がします。