「人は病気になる。病人も家族も心はとんがる。人は死に直面する。心はとんがる。でも臨床で学んだことは、病気になったり、死に直面したりしているのに、まあるい心に変わっていく人の群れがあるということだった。いろんな力によって。そのことを話の中心にしよう。いやいや、まあるい心の方がとんがった心より上だとか優れているとか、誰もがまあるい心になるべし、と言いたいのではない。不思議な力を、人間誰もが秘めてるって言いたい。
「まる」だって、満月のまる、ラグビーボールのまる、風に吹かれ破裂寸前のしゃぼん玉のようなまる、いろいろある。
言えることは、心はとんがったり、いろんなまるになったりして生きてるってことだ。ぼくらは形を変える生き物みたいな心に乗って、いろんな世界を旅させてもらう。 」
鳥取市に住むドクター、徳永進さんの「とんがる心」というエッセーから引用させてもらった。徳永さんの文章は、なごむ。来月『まぁるい死』という本がでる。死が、まるだったり、しかくだったり、さんかくだったり、あるんだろうか。「死は、分かると分からないの間を行ったり来たりする」と書いている。
なにかよく分からない。満天も、まるなんだろうか?