むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

令和幕開けの大河。なぜ超高級官僚のかたぶつオジサン光秀なのか

 来年のNHK大河ドラマの主人公は、明智光秀だ。令和の時代に、なぜ、光秀なのか?

 政治の世界でいうなら光秀は、いわゆる官僚タイプ。政治が安定している社会においては非常に活躍する。そのまえの段階、つまり新秩序をつくろうとする社会では能力が発揮できない。システムが出来あがったうえでの管理職としては、とてもいい働きをする。世が世なら、すばらしい官僚になっていた。

 まじめ過ぎる面も、持ち合わせていた。まじめに考えていたら、主君・信長のやっていることを理解できるわけがない。天才肌で直情・直観の、ときとして異常かとおもわせる信長。いっぽう、すごくロジックにものごとを考えていこうとする秀吉である。

 おもしろいほどに対極的。だから光秀は、創業者といっしょにやっていけるタイプではない。創業者には、やはり秀吉のように気のつく、頭の回転のはやい番頭さんタイプがよかった。

 光秀も、秀吉のしたたかさを見習っておけば、行くところまで行かずにすんだかもしれない。まあ、頭のいい、インテリの犯しそうな失敗ですけど。ドロドロした人間臭さを感じない。とはいえ、ひとの子。本能寺にむかうあたりで、人間臭くなる。人間の業がでたんです。

 令和のときを安定とみるか、乱世とみるか。

 主君への反逆には、諸説ある。直接には、丹波をはなれて山陰に行けけと言われたのがきっかけだと思う。
 ちいさなときから乱世のつづく諸国を、遍歴してきた。丹波の国に「明智城」を夢見てがんばってきた。希望の地であった。
 父親がなくなり村を追いだされ、放浪した光秀のこと、領地へのこだわりが強かった。領民にはいたれりつくせりに、自分の一生をかけようと行政をしてきたのも、丹波に安住するつもりだった。

 信長には、一国一城なんて古くさい制度は微塵もなかった。旧態依然の光秀とは、月とすっぽん。主君のおもいえがくジビョン、やろうとしているシステムが理解できない。みえていない。

 信長のような天才タイプは、したのものを気遣ってはおれない。おなじ家来でも秀吉は、しかかか。その場はあたまを下げ、あとでうまく軌道修正するタイプだ。

 NHKが、令和のまくあけともいえる2年に、なぜ、光秀なのか。

 武術、茶の湯連歌など文化教養、政治力まですぐれた「類いまれ」なる秀才。治水、商業、領民思いの租税にあたるまで丹波の国を潤わせた。

 世が世なら超高級官僚のかたぶつオジサンである。