むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

なにもつぶやかなくてもいいのでは?

 昨夜のNHKツイッター社って、テレビで見るまえは「進んでる」イメージがあった。が、み終ったら「古ーい」イメージにかわった。

 時折、ITの若いひとにでくわす。そんなひとと同じだなと、思った。話すことばは、今流のことだが、突っ込んではなすと、薄い。まあ「哲学」がない。

 放映のなかでオードリー 春日さんがTwitterをやらない理由について、「特になにもお伝えしたいことがない」と言った。

 おおかたのひとが、そうである。

 なんのために「つぶやくの?」。