むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

黙して聴く

 話しを聴くには、聴きじょうずに徹する。質問の言葉数を少なく、相手により多く語ってもらうことが、話しを聴く心得である。

 黙して、話しを聴く。

嘘々しい「寄り添う」

 はやり言葉になっている「寄り添う」。キレイすぎて、気恥しい。言うだけのがわの人には、使い心地がいい。聴くだけの人には、耳ざわりも悪くない。

 言葉の甘さ、嘘々しさにきづかされる。

 そばにいる、かたわらで待つ、ぐらいでいい。

 

排除社会をぶち壊し、異質での連帯社会を

 いつになれば、日本から「村八分」がなくなるのか。異なるものを排除する社会をぶち壊し、異質での連帯が求められている。

 平等ではなく、対等。対立を含みながら、一対になっていく発想の持ち方である。たいがい人間は、等しくなれない。理想だけを口先でいうから、現実の差別や阻害は、全然なくならない。

 共生とか共存もそうだが、言葉だけの美しさに酔ってはだめである。


  

歯医者のストレス

 20年ぶりに歯医者に通うようになって、自律神経が崩れた。虫歯の治療だ。生きながらえるために、治療することにした。1週間に1回。約30分ほどの治療だが、ストレスがたまる。1か月ほどして、偏重をきたした。食事がすすまない。だるさ、倦怠感に襲われる。

 行きつけに医院にいけばいいのだが、運転する気力がおきない。薬を服用して、どうにか喉を通るまでになった。

 弱ったときは、自力で奮い立たせてきた。

 単独では、なかなか暮らしが難しくなった。

聞き手の妙味

 大学を出て新聞記者になって、聞き手と話し手という仕事が確立した。

 40歳で、組織を離れた。一平卒になった。肩書きがなくなった。

 フリー編集者。

 誰も見向きもしないと思いきや、独立経営になって26年たつが、仕事のやり方はまったく変わらない。

 聞き手と話し手をつなぐのは、信頼という目にみえない危うい関係しかない。目にはみえないが、あるときは、お金に結びつく。無から有を産む。

 ぼくの半生は、信頼で仕事をしてきた。振り返ると、そら恐ろしい。

 信頼がなければ、とっくに埋没して死していた。

 信頼がなければ、文章も、ただの紙切れだった。

 信頼とはなにゆえなのだ。自問自答するが、言葉には出せない。辞書をひもとけば、意味合いはわかるが、それは辞書だけの答えである。

 廃業した手漉き紙漉き屋さんから、電話があった。

 出向くと、仕事場に、最後にすいた画仙紙と、紙をすくときの簀(す)がおいてあった。簀は、代々受け継がれてきた「生き証人」である。いわば「形見」だ。

 「これをもらって」と主人が言った。

 「生きてきたあかしは、大切に保存してください」と、聞き手。

 「いや、いつも仕事を見続けて応援してくれたお礼です」と主人が返す。

 30分ほど、やりとりした。

 聞き手が、もらった。

 信頼が結んだ結果である。

 話し手と聞き手という関係は、まだ続く。

 聞き手となって40年すぎた。





 

 

叡智の極み

 叡智とは多くを知ることではない。叡智とはなるべくたくさん知ることではなくて、どんなのが一番必要な知識で、どんなのがそうまで必要でなく、どんなのがもっともっと必要でないかを知ることである。

 人間に必要な知識のなかでも最も大切なのは、いかにしてよく生きるかについての知識である。

 現代の人々はいろんな無駄なことは研究するけれど、この一番大事なことだけは学ぼうとしない。

大雪で傷つく過疎の村

 陽気がよくなった。過疎の農村をクルマで、まるっと3日間駆ける。残雪が残る。民家の軒先が、へし折れている。大雪の残骸だ。

 途中で、村人に聞き書きする。「大雪に痛めつけられたな。10日もソトに出れんかった」と。

 20年付き合いのある手漉き和紙職人が、廃業した。「76歳になるし、先行きも暗いんで辞めたよ。伝統工芸士で、国からも幾度となく表彰されている凄腕のひとだ。

 「こんな紙切れは、ナンも役にたたん」と吐き捨てる。

 村人は、ガマン強い。「いくら言うても、つっかえ棒にもならん」と。黙る。

 待ったなしで消滅する農村。そ知らぬふりの行政。田んぼ、山が荒れれば、町も荒廃する。

 もう町も、荒れている。