むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

本屋のカラクリ

 地方都市の目ぬき通りを歩いていて、なぜ、こんなちっぽけな本屋さんが成り立っているのか、くびをかしげたことはないですか?店員さんが3人ほど。

 不思議で、不思議でしょうがなかったんです、ぼくは。カラクリがとけたんです。

 そういう本屋さんは、公立図書館がお得意さんなんです。県立、市立をかかえていると、ナンと年間、億も儲けているんです。

 ですから店頭で本が売れなくても、いいみたい。

ジブリ「熱風」

 本屋さんから、スタジオジブリの雑誌「熱風」がはいったよ、というので、もらいに行く。ついでにNHKテキスト「きょうの料理ビギナーズーたまねぎさえあれば」(514円)を買う。雑誌は、いつもただ。

 今月は、西郷孝彦先生。

 生徒が遊びにくる校長室、日本は子どもを大事にしない国、あいつはあいつでいいんだよ、チャイムがあるのは学校か刑務所、の小見出し

 生徒手帳に書かれている心得が載っている。礼儀を大切にする。出会いを大切にする。自分を大切にする。

 指導ではなく、一緒に考える、という。

 みんな一緒という考えはやめたほうが、日本のためです。

 大見出し、だ。

 いつか、見学した「フレネ学校」がうかんできた。

空疎な平成30年

 平成の30年は、有名になったものが勝ちの社会にしたてた。政治家、学者、作家、芸人。有名になりたがり、有名を売り込むことに汲々とした。

 有名になれば芸のない芸人でも、お座敷がかかる。学識のふかくなさそうな学者でも、講演の依頼がはいる。テレビからお声がかかる。才能のゆたかとおもえぬ作家の二番煎じの本でも、売れる。

 テレビに取り上げられれば、ひとも集まる、お金も入る。

 いいものが売れるのでなく、売れたものがいいものだという転倒した「価値観」が定着した。平成を汚染した。

 少しは期待されたネットは、扇動、炎上。

 空疎。

 魂が帰りたがっている場所をさがしている。

気遣う社会へ

 江戸時代の暮らしをまなんだときがあった。地域社会に、情の落ちつきがあった。日本人は、「機嫌がよく」互いに気を遣って、不愉快なことをへらすことに懸命だった。

 両国の川びらきの花火。舟がぶつかる。互いに両方から謝る。そういう「文化」があった。機嫌がいいから、そうなる。

 現下、地域的な共同体を再建しようとしても、不機嫌だから無理だろう。

 つねに、だれかの失敗や失言を監視、水に落ちた犬をたたけみたいに。よってたかる。

 気遣い。

スタジオジブリの気概

 きちんとモノをいえるひとが、まれになってきた。テレビ、新聞、雑誌は、広告主のフィルターがかかるから言葉をにごす。

 ネットは、未成熟である。

 こうしたなかで、独歩で言論をまもっているのが、スタジオジブリだ。毎月、同社発行の雑誌「熱風」を書店経由で読んでいる。

 ひとつきかけて、折々、読む。毎号、ワンテーマでじっくりと読ませる雑誌はない。なによりも、フィルターがかからないのが魅力だ。

 考える月刊誌である。