昔も今も、日本の近代の歴史は、東京中心である。
地方に生き、そこで仕事をし、そこで亡くなった表現者をして、いわゆる<地方作家>かというと、そうではないと思う。
肝心なのは、そのひとが成し得た作品の質と量である。それで歴史の評価に堪えうるかどうかで決まるわけであり、判断の基準はあくまでも、そこにある。
則武三雄(かずお、1909-90)という詩人がいた。太宰治、田中英光、三好達治ら日本文学史に名をとどめる文学者と交友があった。青春時代を山陰ですごし朝鮮にわたる。帰国してからは生地には目もくれず、師・三好の誘いで、81歳の春秋を福井で終えた。上京の機会があっても、福井にとどまる。
図書館司書として働くかたわら、独力で出版活動もして、詩人を育てた。40冊の本を出した。中央におもねらない地方主義を貫いた。
なりわいをしつつ詩作、編集、育成をやり遂げた。いまでは「戦後福井文学の先駆者」として顕彰されている。
福井としては、どうしても「福井文学」としたい。でも、則武の作品の質と量は、福井のレベルではない。ただ片すみに生き、片すみで亡くなっただけである。「日本文学」としてもそん色ない。
妻花枝の述懐が、それを証明してくれる。
「私欲も名誉欲もなく夢ばかり食べて生きたひと。貧乏でしたが、誠実にせっしてくれて、しあわせでした」
あの賞が欲しいとか、こうでなければダメ、ああでなければダメ、もっと偉くなりたいとか、そんなものにばかりとらわれ、がんじがらめで「不自由」なひとが多いなかで稀有であった。