むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

背番号「19」逝く

 背番号「19」にあこがれ、少年野球をはじめた。杉浦、スタンカなどキラ星がいた。でも、そのころ「19」は、パッとしなかった。

 少年は中学で、正捕手になった。猛練習のせいで、病気になった。甲子園球児をゆめみていたが、かなわなかった。高校ではバスケに転向した。

 背番号「19」は、華々しい活躍をはじめた。何度か、難波球場に出向いた。

 ぼくは、脚光をあびてからの背番号「19」よりも、努力して正捕手をつかむまでの3年間の無名のころにひかれる。

 残念ながら、もうナマの姿がみられない。