むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

いつまでも農「業」は未来産業なのか。自家栽培こそ「業」である。

 わがくにの農「業」は、ひん死寸前だろう。つくるひとがいない。ところが、どっこい、「未来産業」として注目されている、そうな。

 いつの世でも、農「業」は、こう呼ばれている。おどろくことはない。。明治の世でも、昭和の世でも、平成の世でも、農「業」は、未来産業であった。しかしーー。

 そして、今ーー。「希少で高品質な産品に特化し、トップブランドを作り上げたり、最新テクノロジーを導入したり、大規模な「植物工場」を立ち上げたり、といったこれまでの常識を覆すやり方で成功をおさめているイノベーターたちが登場してきている」という。

 ヘー、そうなんだ。平板だね。だまされないように、しましょう。

 自分で食べる分は、自分で栽培する「業」(わざ)こそ、農である。