むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

クラウドファンドでひん死の農村集落はまもれるのか

 住むひとが年をとっていき、子どものいない農村集落は、守っていかなければいけないのだろうか。ひとに死があるように、農村集落にも死はある、最近、そう感じてきた。
 
 対極の考えもある。そうした集落ではじまったのが、クラウドファンドを使っての生き残り策である。やはり、そこか。お金をだしてもらったひとに、何で、お礼をするのか。米である。野菜である。それで、「ハイ、どうぞ」と資金提供してもらえるのか、いぶかる。

 空き家がたくさんあるのだから、「癒しの別荘」にどうぞ、ぐらいのもてなしがあってもよさそうだ。ある集落で、こんなことを言ったら、叱れると思いきや、「いいね」との賛同をえた。

 反対されると思い、「集落の死」に誘導しようとしたのに、アテがはずれた。ひん死の農村集落は、どうすれば守れるのだろうか。