おかしな陽気です。ぽかぽか。竹やぶにはいり、花器にする古そうな竹をきってきた。
自己流で、アートな花器を4個つくった。きって、穴をあけただけである。なんとも楽しい。
おかしな陽気です。ぽかぽか。竹やぶにはいり、花器にする古そうな竹をきってきた。
自己流で、アートな花器を4個つくった。きって、穴をあけただけである。なんとも楽しい。
背番号「19」にあこがれ、少年野球をはじめた。杉浦、スタンカなどキラ星がいた。でも、そのころ「19」は、パッとしなかった。
少年は中学で、正捕手になった。猛練習のせいで、病気になった。甲子園球児をゆめみていたが、かなわなかった。高校ではバスケに転向した。
背番号「19」は、華々しい活躍をはじめた。何度か、難波球場に出向いた。
ぼくは、脚光をあびてからの背番号「19」よりも、努力して正捕手をつかむまでの3年間の無名のころにひかれる。
残念ながら、もうナマの姿がみられない。
働きかたをめぐるはなしを聴くにつけ、それほど難しいことだろうか、と、いぶかる。若いときは、汗して懸命に働けばいい、とおもう。
だかれにとやかく言われて働くから、カチンとくる。やりたいことを見つける。それに一途になる。ぼくは、書くことが好きだったから新聞記者になった。廃刊になったので、自分で編集「舎」をはじめた。個人の覚悟と責任だ。
子ども2人を、どうにか大学に入れた。ある時期は、儲けた。おのずと高額な税金をはらった。この国は、納税国家だ。義務だ。払っておれば、恩恵はあるだろう、とおもった。
日本型雇用の原型は、明治期の官僚や軍隊の制度だ。雇用慣行は歴史的経緯の上に今の形がある。明解なものが見つかるわけではない。
社に就くのではない。職に就くのだ。ぼくは、「職人」の考えで仕事をしてきた。はびこっている明治は、払拭しよう。
毎日、魚うりの移動販売車が来る。買いにでるひとは、おなじかおぶれだ。
ぼくは、おじさんの「心意気」を買いにでる。1000円でも、わざわざ、来てくれることはありがたい。もっと、買ってあげれば、と、いつもおもう。
こうして日々、すこしづつ買うほうが、効率はいい。まとめ買いほど、効率がわるい。
むらというところは、すぐに仲間をつくりたがる。役人、先生のOBほど、徒党をくむ。現役のなごりがわすれられないのだ。
おおくのむらをみてきた。地域づくりで、こうした役人、先生がリーダーになったところは、5年がいいところ。それ以降は、閑古鳥がないでいる。
ポツンと一軒家は、五島列島の黒島。孤島。99歳の親と70歳の子。1世帯。おばあちゃんの楽しみは、草むしり。娘さんは、不便になれたと。暮らしの哲人だ。
2年ぶりの再訪で、おばあちゃんは亡くなっていた。娘さんは独り暮らしだ。たった一人。どんな都会よりも、ここがいい、と。最期まで暮らすようだ。
勁い。ぼくにはできない。