むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

背番号「19」逝く

 背番号「19」にあこがれ、少年野球をはじめた。杉浦、スタンカなどキラ星がいた。でも、そのころ「19」は、パッとしなかった。

 少年は中学で、正捕手になった。猛練習のせいで、病気になった。甲子園球児をゆめみていたが、かなわなかった。高校ではバスケに転向した。

 背番号「19」は、華々しい活躍をはじめた。何度か、難波球場に出向いた。

 ぼくは、脚光をあびてからの背番号「19」よりも、努力して正捕手をつかむまでの3年間の無名のころにひかれる。

 残念ながら、もうナマの姿がみられない。

 

男も乳がんにかかる

 東京新聞WEB版を読んで、おどろいた。男も乳がんにかかるって。

 「乳がんは、乳房にある乳腺にできる悪性腫瘍。胸には男女問わず乳腺があるため、男性も乳がんになる可能性がある。国によると二〇一六年に乳がんと診断されたのは九万五千五百二十五人。このうち男性は六百七十四人で、割合としては全体の1%に満たない」

「職人」の気概

 働きかたをめぐるはなしを聴くにつけ、それほど難しいことだろうか、と、いぶかる。若いときは、汗して懸命に働けばいい、とおもう。

 だかれにとやかく言われて働くから、カチンとくる。やりたいことを見つける。それに一途になる。ぼくは、書くことが好きだったから新聞記者になった。廃刊になったので、自分で編集「舎」をはじめた。個人の覚悟と責任だ。

 子ども2人を、どうにか大学に入れた。ある時期は、儲けた。おのずと高額な税金をはらった。この国は、納税国家だ。義務だ。払っておれば、恩恵はあるだろう、とおもった。

 日本型雇用の原型は、明治期の官僚や軍隊の制度だ。雇用慣行は歴史的経緯の上に今の形がある。明解なものが見つかるわけではない。

 社に就くのではない。職に就くのだ。ぼくは、「職人」の考えで仕事をしてきた。はびこっている明治は、払拭しよう。

閑古鳥がなく地域のリーダーは、役人、先生のOBがおおい

毎日、魚うりの移動販売車が来る。買いにでるひとは、おなじかおぶれだ。

 ぼくは、おじさんの「心意気」を買いにでる。1000円でも、わざわざ、来てくれることはありがたい。もっと、買ってあげれば、と、いつもおもう。

 こうして日々、すこしづつ買うほうが、効率はいい。まとめ買いほど、効率がわるい。

 むらというところは、すぐに仲間をつくりたがる。役人、先生のOBほど、徒党をくむ。現役のなごりがわすれられないのだ。

 おおくのむらをみてきた。地域づくりで、こうした役人、先生がリーダーになったところは、5年がいいところ。それ以降は、閑古鳥がないでいる。

島で独り暮らし。ぼくにはできない

 ポツンと一軒家は、五島列島の黒島。孤島。99歳の親と70歳の子。1世帯。おばあちゃんの楽しみは、草むしり。娘さんは、不便になれたと。暮らしの哲人だ。

 2年ぶりの再訪で、おばあちゃんは亡くなっていた。娘さんは独り暮らしだ。たった一人。どんな都会よりも、ここがいい、と。最期まで暮らすようだ。

 勁い。ぼくにはできない。

高校野球のセンバツは?影響はどうなのだろう

 もしかしてだけど、もうすぐ高校野球センバツが行われる予定だが、このところの騒動で影響はないのだろうか?

 おおきな球場。選手たちもマスクを強要するだろうか?観客は、当然のことながら「義務」となるのだろうか?