むらの幸福論

暮らしのちいさなところに眼をむける。

歩く

 作家は、身辺のありとあらゆることを、小説にする。すごいな、と感服する。

 「歩く」ことだけでも、仕立てる。一歳くらいで歩きはじめる、ことから解きほぐし、ランドセルを背負ったピカピカの一年生。一人で歩いて校門をくぐる。
  
 中学ではクラブ活動で、走る、蹴る、投げる。高校になると、一人前になろうと背伸びをする。大学では、就活で歩く、歩く。

 就職すると、また、歩く。ぼくが人生でもっとも歩いたのは、仕事についてからだ。「足で稼げ」と叱咤された。いつのまにか、こんなとしになってからも、義務で歩いている。

 結局、歩くことは、独りでしかできない。

見わたせば、おばあちゃんばかり

 高齢者が一人なくなると、図書館が一館つぶれるほどに匹敵する。それほどの知の集積庫である。ぼくの住む集落では、今年だけで3人を見送った。

 きのうも、盛大な葬儀があった。74歳の男性だった。2週間まえに、挨拶をしたばかり。早かった。夏すぎには、92歳の男性。県議会議員の参謀だった。春前は、82歳の男性。農作業ひと筋。いずれも、男性である。いつも世話になる野菜づくりの名人、91歳は「この次は、わしだからな」が口ぐせである。4年も聴いている。

 おばあちゃん達は、達者だ。背中はエビのようになっているが、よくしゃべる。元気のもとは「悪口であろうが、自慢であろうが、遠慮なく大声でしゃくる」ことだ。

 見わたせば、独り暮らしのおばあちゃんが目立つ。「早う、迎えがこんかな」と顔を合わせれば、つぶやく。気は若い。

 高齢のむらは、おばあちゃんの「天国」といえそうだ。

つながりが、健康をもたらす

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 健康になるためにもっとも大切なのは、「つながり」のようだ。禁煙、禁酒、運動不足、太りすぎよりも、つながりらしい。孤独は禁煙よりも悪い。つながり効能ですね。

 つながりを拒むのは、どうやら孤独遺伝子がある。誰も一人よりもたくさんで、ワイワイガヤガヤがいいと考えるが・・・。何をすれば病気にならないか?作り笑いでも、寿命が2年延びる。ストレス解消の手段は分かる。

 日本はつながりが少なく、孤独死が多い。孤独死の多くは、部屋が汚いことだ。合鍵を渡せるようなつながりが大切のようだ。孤独なひとは、死亡率が2倍にもなるそうだ。

寄せあって咲くみつまたの花

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  みつまたの花は、肩を寄せあって暮らす家族のようだ。ちいさな力が合わさって、結束する。山の奥で、だれ人に見られるためでもなく咲く。

 ひとのために咲くではない花。華自身のいのちの在りように照らされて、力づけられる。

 黙々と咲き、黙々と散る姿に元気づけられる。崇敬と畏ふ。重なりようをみせる。

年間36万円の年金が頼り

 2030年には全国で144の町村が限界自治体になると予測される。

 予測よりかなり早く限界自治体化が進んでいる。背景には三位一体改革による地方交付税の減額があり、集落への住民サービスは一層低下していく。山村が限界自治体化していき、小規模な山村では存続集落が準限界集落に移行し、準限界集落限界集落に移行し、限界集落に滞留していく。これが山村の実態といえる。

 限界集落の状況を次のように描写したことがある。

 人影もなく、1日誰とも口をきかずにテレビを相手に夕暮れを待つ老人。天気が良ければ野良に出て、野菜畑の手入れをし、年間36万円の年金だけが頼りの家計に、移動スーパーのタマゴの棚に思案しながら手を伸ばすシワがれた顔。バス路線の廃止に交通機関をなくしタクシーでの気の重い病院通い。

 1か月分の薬をたのみ断られ、2週間分の薬を手にアジの干物を買い、杖を突きながら家路を急ぐ老人。テレビニュースの声だけが聞こえているトタン屋根の家が女主人の帰りを待っているむら。

 家の周囲を見渡せば、めぐら地(家周りの田畑)に植えられた杉に囲まれ、日も射さない主人なき廃屋。苔むした石垣が階段状に連なり、かつて棚田であった痕跡をそこに溜めている杉林。日が射さず下草も生えないむきだしの地表面。野鳥のさえずりもなく、枯枝を踏む乾いた音以外に何も聞こえないもの言えぬむら。

 どうするか。

 住むのか、たたむのか。集落を維持するコストは、誰も計算していない。

 

江戸の暮らしに学ぶ

 江戸時代の暮らしを学ぶ勉強会にでたときがあった。地域社会に、落着きがあった。人々は、「機嫌がよく」互いに気を遣って、不愉快なことをへらすことに懸命だった。

 両国の川びらきの花火。舟がぶつかる。互いに両方から謝る。そういう「文化」があった。機嫌がいいから、そうなる。

 現下、地域的な共同体を再建しようとしても、不機嫌だから無理だろう。つねに、だれかの失敗や失言を監視、水に落ちた犬をたたけみたいに。よってたかる。

 明日の見えない世、困難はこれからもひたひたと続いていく。けれども、困難は、また、ひとを磨く。穏やかで、平凡に、機嫌よく。